本島を南北に分断して侵攻を続けるアメリカ軍は金武町を完全に制圧。海軍を率いる当時の大田実少将は一週間後の自決を前に、訣別の電報を打ちます。 金武掃討作戦と呼ばれた戦闘に参加するアメリカ兵達。連日、たく…
高額なお金を支払って買った壕の中で最愛の親族を失った住民がいました。 与座岳のふもとにある第二与座壕。250円を支払ってこの壕に入った松茂良美智子さん一家にも、日々、悪化していく戦況が手に取るようにわ…
沖縄本島南部への進撃を進めるアメリカ軍、65年前のきょうアメリカ軍は知念半島を分断します。 5月末に首里から撤退した日本軍。アメリカ軍に本島南部で最後の抵抗を続けます。しかし、65年前のきょう、アメリ…
6月に入り、南部は軍と住民が入り乱れて混乱する中、アメリカ軍は繰り返し「命を助けるビラ」をまいていました。 島袋文子さん「アメリカの飛行機からビラが落ちてくるわけ。日本は負けました、戦争は終わりました…
27日に首里を撤退した32軍司令部は、南風原の津嘉山を経て、5月30日に糸満市摩文仁にある新しい司令部壕に到着します。 アメリカ軍のバックナー中将は、沖縄守備軍が首里を放棄することはなく、必ず抵抗して…
沖縄戦で指揮の中枢部となった牛島満率いる第32軍。その司令部が置かれたのは、首里城の地下に掘られた巨大な壕でした。 アメリカ軍はその首里城を陥落させれば、沖縄での戦いは終わると思っていました。 シュガ…
65年前の5月中旬、アメリカ軍が首里に迫る中、なくなく南部に移動させられた松茂良美智子さん。戦争の混乱でもお金に貪欲の人たちに苦しめられます。 那覇の壕を追い出され、およそ2時間かけてここ糸満市与座岳…
首里の防衛に死力を尽くす第32軍ですが、アメリカ軍は泊高橋方面から那覇に進入します。 那覇市に突入するアメリカ軍の様子を捉えた写真、左に見える建物は泊国民学校です。 65年前のきょう、アメリカ軍は泊高…
アメリカ軍の本島上陸から1ヶ月半が経過。本島北部では食糧不足が人々の命を奪っていました。 65年前のきょう5月17日、アメリカ軍の第6海兵師団は現在の那覇新都心、シュガーローフを占領するため、激しく日…
アメリカ軍は那覇市の首里で猛攻撃を加え、迎え撃つ沖縄守備軍を力で圧倒します。 「愉快です!敵艦に体当たり!」65年前のきょうの新聞には日本兵が乗りこむ神風特攻機を女子挺身隊が整備する写真が掲載され、本…
アメリカ軍が首里の司令部に迫る65年前のきょう、那覇市繁多川の防空壕を追い出され、なくなく南部へ移動する住民がいました。 アメリカ軍が上陸する前から、那覇市繁多川にある石田の壕に避難していた松茂良美智…
65年前の今頃、山に避難していた名護市辺野古の住民らはほぼ全員山を下りて、早くも学校も復活していました。 初枝さん「私たちは食べ物もいっぱいあったし別に、苦しいというあれはなかったけど」 沖縄本島でも…
65年前の今日、アメリカ軍が撮影したフィルムには戦場で傷つき、肉親を失った孤児たちの姿が映し出されていました。 5月10日の日付のあるこのフィルムには戦場に置き去りにされ、アメリカ軍が救いだした男の子…
1945年5月。アメリカ軍の上陸からおよそ一か月、このときすでに本島中北部各地にはアメリカ軍による戦争難民収容所が作られていました。 そのうち、石川地区の収容所ではきょう5月7日、子どもたちを集めて初…
沖縄に向けて飛び立つ特攻隊の基地では、65年前のきょうも空には鯉のぼりが泳いでいました。 高々と上げられた鯉のぼりを笑顔で見上げる特攻隊員ら。65年前のきょうの新聞です。しかし、戦況は激しさを増してい…