戦争の足音が近づく中、県内の各中学校では「防衛隊」が編成されました。 首里高校の前身、県立第一中学校の戦没者を慰霊する一中健児の塔。きのうここを、広島の大学生たちが訪れました。 65年前のきょう、県内…
65年前、日本軍は近づく地上戦に向けて地下の防空壕で生活するよう県民に要求します。 「横穴を増強せよ!」「日常生活は地下で!」 65年前のきょうの新聞には、それまで一時的な待機場所として使用されてきた…
女子学生あこがれのセーラー服。その服装も戦時体制とともに変わっていきます。 宮城巳知子さん「自分たちは昭和16年入学だから、2年間は女学生らしい生活で楽しかったです」 宮城巳知子さん。太平洋戦争開戦直…
アメリカ軍の上陸が迫る中、本島中南部から国頭地区への疎開が本格的に始まります。 65年前のきょうの沖縄新報。そこには国頭地方への疎開者に対する食糧計画が確立されたという記事があります。 「特に疎開者に…
1945年、県食糧配給課では米や芋、野菜など従来の作物に頼っては自給体制は追いつかないとして、1月から2月にかけ代用食の研究を専門家に委嘱します。 当時の県立図書館長・城間朝教をはじめ、県農業試験場や…
65年前の2月、近づく戦争の足音に当時の行政は緊急態勢に入りました。 1945年2月、県はいよいよ行政体制を戦時体制へと移行しました。新聞にはその体制について、県政の中央の機能を各地方に分散させる機構…
65年前のきょう、久米島では日本軍に徴用されていた船が撃沈され、住民たちが必死の捜索に当たっていました。 軍需物資などを運ぶ徴用船として那覇と久米島を結んでいた嘉進丸は2月6日、久米島の真泊港を学生を…
65年前の今日、そしてこの時期は、新聞に2日と空けずに食糧確保を呼び掛ける記事が載せられます。 1945年2月5日の沖縄新報は「勝敗のカギは増産」「イモ類を大増産」の見出しで食糧生産を呼び掛けています…
65年前、食糧不足が子ども達を苦しめました。 65年前のきょう新聞には当時の知事・島田叡の三大目標が大きく掲載されました。そのひとつが「食糧自給の達成」。食べ盛りの子ども達を苦しめたのがこの食糧不足で…
そしてきょうは、戦況が厳しくなる中、戦場に駆り出された少年たち、「鉄血勤皇隊」です。 首里の丘に静かにたたずむ、一中健児の塔。その敷地内にある一中学徒資料展示室には、15歳から17歳という若さで「鉄血…
65年前のきょう、大宜味村の喜如嘉では戦意高揚のため村主催の葬儀が行われました。 平良真平さん(80歳)。13歳の時に大宜味村の喜如嘉小から旧制県立二中へ進学。親元を離れて下宿生活がはじまったのは19…
アメリカ軍の上陸が迫る中、決死の覚悟で沖縄の地を踏んだ若き県知事です。 65年前のきょう、新聞紙面を大きく飾ったのが新しい県知事島田叡の着任を伝える記事でした。前の年の空襲で壊滅的な被害を受けた県都・…
65年前のきょう、本部町八重岳に設営された野戦病院では、負傷者の看護を命ぜられた女学生らの看護実習が始まりました。 1月、本部半島での戦闘に備えるため、沖縄陸軍病院名護分院は八重岳の西側の野戦病院に移…
戦意喪失を狙ってアメリカ軍が撒いたビラ。65年前のきょうの新聞では敵の謀略にだまされないよう呼びかけています。 先の大戦で心理作戦のひとつとして多く活用されたのが宣伝ビラ。アメリカの軍事力を強調し、日…
65年前のきょう、第32軍沖縄守備軍は、兵力配置の変更を開始します。 第32軍沖縄守備軍は、本島各地に配置されていた全ての兵力を首里を中心とした南部地域に移動。これまで重要施設として整備を続けてきた北…