65年前のきょう4月6日。日本軍の特攻作戦「菊水作戦」が実行されました。若い命を乗せた特攻機が沖縄へ飛び立ったのです。 その日、大宜味村喜如嘉の人たちが見たのは炎上する軍艦、高い波しぶきでした。そして…
戦場に学徒動員された少年たちは死を覚悟し、遺書を書いていました。 終戦から4年後、豊見城の壕から発見された遺書や遺髪。これらは65年前の4月上旬、鉄血勤皇隊として動員された県立第一中学校の生徒たちが書…
沖縄本島の総攻撃が始まって2日目のきょう、与那国島の国民学校では入学式が行われました。 与那国島を襲う激しい空襲。与那国国民学校は1945年2月以降、授業ができなくなっていました。しかし4月2日、国民…
65年前の4月1日はアメリカ軍上陸の日。その上陸の地となった読谷村渡具知から中継でお伝えします。 65年前のきょう4月1日。読谷村渡具知の海岸はアメリカ軍の船で埋め尽くされました。ここから沖縄本島の地…
65年前のきょう本島西海岸を軍艦で埋め尽くしたアメリカ軍は、本島上陸の時期をうかがっていました。 1か月あまりの戦闘で小笠原諸島の硫黄島を攻略したアメリカ軍。日本軍の兵士2万人あまり。アメリカ兵682…
65年前、首里高等女学校の卒業式は艦砲射撃の中行われました。 宮城さん「今だったら校歌を歌うけどあの時は『海行かば』、軍歌」 県立首里高等女学校、ずいせん学徒隊として学徒動員された4年生61人。 生徒…
65年前のきょう3月26日、アメリカ軍が慶良間諸島に上陸し、鉄の暴雨風と呼ばれた沖縄戦が始まりました。 1945年3月26日午前8時4分、阿嘉島沖を埋め尽くしたアメリカ軍の艦船から放出された水陸両用車…
65年前の今夜、石垣島では沖縄からの特攻隊第一陣の出撃を前に、小さな宴が催されていました。 65年前のあすアメリカ軍はついに慶良間諸島に上陸します。そして、同じ日、県内からとしては初の特攻隊が石垣島の…
3月6日から、東風平国民学校で看護教育をたたき込まれた仲里ハルさん。積徳高等女学校に通う16歳の少女でした。 2週間後、ハルさんたちは25人の仲間とともに、豊見城城址にあった第二野戦病院に配属されまし…
国は戦争一色となり、生徒の戦場動員は当然という雰囲気に包まれていました。 宮城喜久子さん「父は教師をしていて、いつも子どもたちに教育しているのは“戦場に行け”ということですよね、そのときの教師は。それ…
1945、佐久本喜範さんは鉄血勤皇隊として金武へ。空襲が激しくなった3月下旬、県立二中の5年生だった少年は、鉄血勤皇隊として金武に配属されました。 佐久本喜範さん「小禄(飛行場の)掩帯壕づくりとか高射…
65年前、少女は、終業式を目前に家族で北へと逃げました。 当時の楚辺小学校高等科1年生だった照屋文子さん。教室は日本軍に取り上げられるなか、登校時には決まってすることがありました。 照屋文子さん「ルー…
『1945年3月18日(日曜日)日の出と日没時に総員配置。きょうも荒れた夜が続く』 65年前のきょうから始まった「アメリカ一水兵の沖縄戦日記」。アメリカに住むセア・ビビンズさんは終戦から43年後、名護…
占領したサイパンやグワムから日本本土を空襲し始めたアメリカ軍。より効率よく進めるため、次に狙ったのは、サイパンと東京のちょうど中間に位置する「硫黄島」でした。 65年前の2月19日、遂にアメリカ軍が硫…
戦時情勢が厳しくなる中、八重山では農林学校の生徒を中心に鉄血勤皇隊が編成され、軍事教練に駆り出されました。 1944年10月、国は「緊急学徒勤労動員方策要綱及び決戦非常時措置要綱」に基づく「学徒動員実…