この写真は1944年の10月10日、10・10空襲に襲われる那覇市の様子。いまの那覇軍港のあたりが爆撃を受け、黒煙が上がっています。この大空襲、そして地上戦の中を生き延びた看護学生の少女は、65年前の…
65年前のこの時期、宮古島では戦後の兵器処理が行われていました。宮古島では、米軍の上陸はなかったものの、戦争当初からイギリス軍太平洋艦隊による攻撃を受け、島の至る所が破壊されました。 終戦後の8月26…
戦争で殆どの家屋が破壊された沖縄では住宅の確保は食料と同じように深刻な問題でした。 上空から見た終戦直後の石川市です(現在のうるま市石川)戦災でほとんどの家は焼失していて集落の端に難民収容所のテント小…
65年前の9月、沖縄市の前身となる「コザ市」が成立します。旧越来村、嘉間良を中心に越来・室川、安慶田の3部落にわたる広大な収容所はアメリカ軍によって「キャンプ・コザ」と呼ばれていました。 「コザ」の由…
沖縄戦が終り島中がまだ混乱に包まれていた頃、沖縄本島に巨大な台風が近づいていました。日本を縦断した台風の経路図。1945年9月13日頃に発生した台風16号。のちに枕崎台風の名で昭和三大台風の一つに上げ…
65年前のきょう、アメリカ軍政府と沖縄諮詢会は、組織的な地方行政を創設する必要から、「地方行政緊急措置要綱」を発令します。これによって難民収容所に市制が布かれることとなりました。 局地的な戦闘やアメリ…
終戦を迎えても日本軍による住民虐殺が続いた久米島。65年前のきょう その日本軍は、アメリカ軍に投降し久米島から 完全退去しました。 譜久里廣貞さん「こっちに兵舎小屋があったんですよ鹿山がそこにいたんで…
終戦とともに発足した沖縄住民による行政組織沖縄諮詢会では、この頃通信部を設置、郵便の取り扱いを開始します。 沖縄諮詢会では、アメリカ軍政府から業務を引き継ぎ、1945年9月から郵便の取り扱いを開始しま…
沖縄戦では、20数万人の犠牲者が出ただけではなく凄まじい戦火によって数多くの歴史的建造物が破壊されました。65年前のきょうの糸満です。艦砲射撃や迫撃によって地上のあらゆるものは焼きつくされています。か…
八重山の人々を乗せた疎開船が7月に襲撃され尖閣に漂着した生存者は8月末まで苦難の日々を過ごしていました。 空襲が激しくなった6月末、疎開者を乗せた2隻の疎開船が、石垣島から台湾に向けて出航しました。7…