シリーズでお送りしている「7人の知事」。復帰後これまでに誕生した歴代の知事7人が残した言葉や直面した課題をみつ、今の沖縄を考えます。きょうは4代目の知事大田昌秀さんです。 大田昌秀「鉢巻もタスキもやめ…
71年前の沖縄戦では10代の少年たちが鉄血勤皇隊として戦場の最前線に送られ亡くなりました。その一人で、西原町出身の男性の遺影が今回、世界のウチナーンチュ大会をきっかけに遠くブラジルから沖縄に里帰りしま…
鉄血勤皇隊員として沖縄戦に参加した当時17歳の神谷依信さん、糸満の摩文仁でアメリカ軍の捕虜となり、船でハワイへと送られました。 神谷依信さん「1500隻の軍艦で真っ黒になっていた。海の色が見えないくら…
鉄血勤皇隊の一員だった元沖縄県知事の大田昌秀さんが投降したのは65年前のこのころでした。当時の出来事が、大田さんのその後の人生に大きな影響を与えました。 沖縄師範学校本科2年生だった大田昌秀さんは学徒…
沖縄本島では組織的な戦闘が終わって2ヶ月近く過ぎたこの頃、八重山諸島ではまだ戦闘に備えている学徒隊がいました。 八重山では1945年3月に県立八重山農学校、八重山中学校、八重山高等女学校の生徒達が学徒…
ひめゆりや白梅、そして鉄血勤皇隊など、県内21の中等学校から学徒として動員された10代の若者たち。 戦前、首里にあった沖縄師範学校と県立一中の学徒隊はおよそ460人が死亡。 文部省は65年前のきょう東…
戦争の記憶を後世に引き継ごうと戦争を描いたラジオドラマに歌やダンス自分たちの表現を取り入れ、あらたな舞台を作り上げようとしている若者たちを取材しました。 65年前の沖縄戦で学徒隊として動員された鉄血勤…
65年前のきょう、牛島司令官は全ての軍に最後の命令を出しました。しかし、それは戦いの終わりを伝えるものではありませんでした。 鉄血勤皇隊として動員された県立第一中学校の少年たち。毎年6月になると、後輩…
戦場に学徒動員された少年たちは死を覚悟し、遺書を書いていました。 終戦から4年後、豊見城の壕から発見された遺書や遺髪。これらは65年前の4月上旬、鉄血勤皇隊として動員された県立第一中学校の生徒たちが書…
アメリカ軍の本島上陸が迫る中、戦場に駆り出された14歳の学徒が見た戦争の本質に迫ります。 アメリカ軍の上陸直前の3月27日、首里高校の前身、県立第一中学校では砲弾が飛び交う中、卒業式が行われました。敵…
1945、佐久本喜範さんは鉄血勤皇隊として金武へ。空襲が激しくなった3月下旬、県立二中の5年生だった少年は、鉄血勤皇隊として金武に配属されました。 佐久本喜範さん「小禄(飛行場の)掩帯壕づくりとか高射…
戦時情勢が厳しくなる中、八重山では農林学校の生徒を中心に鉄血勤皇隊が編成され、軍事教練に駆り出されました。 1944年10月、国は「緊急学徒勤労動員方策要綱及び決戦非常時措置要綱」に基づく「学徒動員実…
65年前の3月、まだ10代の少年少女たちも戦場へと駆り出されます。 当時の県学務課と軍により、学徒の戦場動員が前年12月に決定。通信技術などの訓練はすでに始まっていました。 県内の中等学校のうち一番早…
そしてきょうは、戦況が厳しくなる中、戦場に駆り出された少年たち、「鉄血勤皇隊」です。 首里の丘に静かにたたずむ、一中健児の塔。その敷地内にある一中学徒資料展示室には、15歳から17歳という若さで「鉄血…