沖縄戦当時、石垣市の野戦病院に従軍し亡くなった人を祀る「暁之塔」で、19日に子どもたちが慰霊集会を行いました。集会には石垣市立川原小学校の15人の児童全員が参加しました。 「暁之塔」は沖縄戦当時、現在…
収容所から戻るときに家族の遺体を掘り起こすケースが多発したため、アメリカ軍は65年前の今日、密葬や洗骨の禁止令を出しました。 宜野座小学校の敷地にあったアメリカ軍の野戦病院。当時7歳で、左腕の骨が見え…
65年前のこのころ、収容所や病院などでは生死もわからなかった家族との再会のドラマがありました。 島袋文子さん「捕虜にされた時の怖かったこと。見たら赤毛の青い目の身長の高いのがいっぱいいて」 6月、南部…
65年前のきょう、首里の住職が率いる永岡隊は、糸満で再び合流し、生きていることを喜び合いますがそれもつかの間でした。 首里の安国寺の住職・永岡敬淳が率いる「永岡隊」。沖縄県人で編成された永岡隊は、第3…
65年前の今日は積徳高等女学校の生徒たちが南部に入って看護実習を始めて三日目。二度と泣かないと誓約書を書かされた少女もいました。 仲里ハルさん「君らは軍服こそつけていないが初年兵だということで、ものす…
3月上旬、県内の女子学生たちにいよいよ動員命令がくだります。 65年前の3月6日。この日、県内の女学校4校に動員命令が下りました。このうち、積徳高女とともに看護教育のために24師団野戦病院に動員された…
空襲が激しくなる中、八重山の高等女学校の生徒たちに看護術教育が実施されました。 日本軍はアメリカ軍の進攻を阻止するため、旅団を置いた石垣島で徹底抗戦の作戦に出ました。しかし、空襲は日増しに激化。このた…
65年前のきょう、本部町八重岳に設営された野戦病院では、負傷者の看護を命ぜられた女学生らの看護実習が始まりました。 1月、本部半島での戦闘に備えるため、沖縄陸軍病院名護分院は八重岳の西側の野戦病院に移…