すべてが不自由だった戦後の暮らし。住民達はアメリカ軍が投下した爆弾の破片など、使えるものはすべて生活に利用しました。 これは、アメリカ軍が火炎放射に使用したとみられるボンベを鐘として再利用していたこと…
65年前のこのころ、収容所の住民はアメリカ軍からの配給で命をつないでいました。 配給所で列を作る住民たち。65年前のこのころ、各地に設置された収容所の住民には、アメリカ軍から必要最小限の食糧が与えられ…
日本軍による組織的な戦闘が終わった後も多くの敗残兵が南部に残り、7月に入っても断片的な戦闘は続きます。 投降のビラをアメリカ兵に手渡し、血だらけの状態で捕虜となる日本兵。本島南部では第32軍を率いた牛…
65年前、日本軍は近づく地上戦に向けて地下の防空壕で生活するよう県民に要求します。 「横穴を増強せよ!」「日常生活は地下で!」 65年前のきょうの新聞には、それまで一時的な待機場所として使用されてきた…