71年前の8月22日、疎開船「対馬丸」がアメリカ軍の攻撃を受けて撃沈し、幼い子どもたちなど約1500人が犠牲になりました。この疎開計画は、沖縄戦が迫る中、戦闘の妨害になりかねないお年寄りや子どもたちを…
名護市にひっそりとたたずむ墓地。毎年、6月になると私の父はここを訪れます。 山田さん「きょうはお墓の掃除に来ました。 私は生き残って、辰夫君は17歳で亡くなって、これはもう、そういうことなんだよね。」…
沖縄戦では軍民合わせて20万人を越える人たちが犠牲となりました。その中に、目や耳、体が不自由な障害者がどれほどいたのか、未だわかっていません。自らの戦争体験を伝え続ける、全盲の男性がいます。 県立盲学…
シリーズ「遠ざかる記憶、近づく足音」です。70年前の沖縄戦、本島南部で地上戦が続く中、北部では「捕虜収容所」での生活を始まっていました。辺野古崎にあった大浦崎収容所で生まれた一人の医師の思いを聞きまし…
中山きく共同代表「私たち(沖縄戦)体験者にとっては、決して戦争悲惨さを忘れることはできない」「(翁長)知事の後押しを少しでもできればいいなと」 辺野古新基地建設反対の県民大会で共同代表の1人として立ち…
特集です。先日、南風原文化センターが、戦時中の南風原病院壕で発生していた「臭い」を再現し、公開を始めました。臭いを再現するにあたって協力した男性の「臭いから思い起こされる戦争の記憶」をたどります。 金…