戦争で行政機能が停止していた八重山に、65年前のきょう、アメリカ軍が軍政布告の文章を貼り出しました。 「八重山郡民に告ぐ」と書かれたこの貼紙。アメリカ軍が八重山に軍政府を樹立すると宣言したものです。日…
戦火を生き延びた人々は必死に生活を取り戻そうとします。しかし「戦果取り」と呼ばれた行動で多くの人が犠牲となりました。 旧居住地への復帰が認められ故郷に戻った人々は衣食住を確保することに奔走する毎日でし…
アメリカ軍政府と沖縄諮詢会が教育の再建に取り組む中、当時、学校での授業は英語で行おうという動きがありました。 収容所内の治安のため、子どもたちを集めることから始まった戦後の教育ですが、青空教室からコン…
すべてが不自由だった戦後の暮らし。住民達はアメリカ軍が投下した爆弾の破片など、使えるものはすべて生活に利用しました。 これは、アメリカ軍が火炎放射に使用したとみられるボンベを鐘として再利用していたこと…
65年前のこの時期、アメリカ軍からの食料配給が各地で滞ります。その対策に乗り出したのが住民と軍政府をつなぐ沖縄諮詢会でした。 アメリカ軍政府が民間人に食料の配給を始めたのは6月ごろから。しかし9月には…
7月から発行をはじめた戦後初の新聞「うるま新報」。しかし、新聞はアメリカ軍政府の支配下でのスタートでした。 戦後初の沖縄の新聞として7月25日に創刊された「うるま新報」。アメリカ軍政府の機関紙と位置づ…