65年前のこのころ、収容所から戻った少年が見たのは、地上戦の犠牲になった住民の姿でした。 渡久地昇永さん「毎日もう10名ぐらいの人が亡くなって」 1945年6月、アメリカ軍が名護市辺野古に設置した大浦…
この写真は1944年の10月10日、10・10空襲に襲われる那覇市の様子。いまの那覇軍港のあたりが爆撃を受け、黒煙が上がっています。この大空襲、そして地上戦の中を生き延びた看護学生の少女は、65年前の…
県平和祈念資料館のリニューアル10周年を記念した特別企画展が10日から開かれています。 開館から35年、そして2000年のリニューアルから10年を迎える平和祈念資料館。今回の企画展では、戦争経験者が減…
アメリカ軍は日本の軍国主義などの思想を排除するため、子どもたち向けの沖縄独自の教科書を作る編集所を軍政本部内に設置します。 沖縄戦のさなか、すでに中北部にはアメリカ軍が収容所内に学校を開設。学校には子…