65年前のこのころ、収容所では住民たちがアメリカ軍の作業をして生活物資を得る軍作業が始まりました。 本島上陸以降、アメリカ軍は沖縄守備軍と闘いながら、次々と住民を収容所へ送り込みました。琉球大学の川平…
南部で母を亡くし父親と生き別れた少年は収容所で軍作業に従事していました。 玉那覇盛章さんは南部の激戦地を逃げ惑った末、海岸にいるところを捕虜として連行されました。父とは別々の収容所に連行され、民間人だ…
65年前のきょう、糸満市米須の徳元孝助さんは宜野湾市野嵩の捕虜収容所にいました。 アメリカ軍が進攻した本島南部。米須の徳元さんは、ひめゆりの塔の下にある壕に家族と避難。しかし、日本軍に追い出され、近く…