65年前の12月、石川と越来の間で、沖縄本島では戦後初の電話回線が開通します。 戦争によって、明治から築き上げた電信電話の全ての施設が焼失。沖縄の電話事業は「無」の状態からの再建となりました。 石川の…
沖縄諮詢会がアメリカ軍政府に設置を求めていた警察学校が65年前のきょう、旧具志川村に開校しました。 沖縄諮旬会が正式に警察学校の設置を求めた1945年11月からおよそ一カ月後。アメリカ軍政府は旧具志川…
アメリカ軍政府と沖縄諮詢会が教育の再建に取り組む中、当時、学校での授業は英語で行おうという動きがありました。 収容所内の治安のため、子どもたちを集めることから始まった戦後の教育ですが、青空教室からコン…
沖縄戦で家族や友人の命を失い、打ちひしがれた人々の心を慰めようと、石川収容所に笑いで“ともし火を”ともす人物がこの頃現れました。 小那覇全人さん「(父は)天性のユーモリストじゃなかったかなと思いますね…
沖縄の警察組織の再構築を目指していた沖縄諮詢会は65年前のきょう、アメリカ軍政府に警察学校設置計画を提出します。 沖縄戦で解散した沖縄県警に代わり、各地域の収容所ではアメリカ軍政府の隊長が警察署長と民…
65年前のきょう、石川収容所内に設けられていた学校は人口の増加に伴い、3つの学校に分かれます。 行政機構、沖縄諮詢会がおかれ政治の中心となっていた石川市。石川市では各地区との連絡や会議が行われ、沖縄本…
沖縄戦で解散した沖縄県警。警察組織の復活に向けて、沖縄諮詢会がアメリカ軍政府に働きかけを行います。 沖縄戦のさなか、6月9日、島田叡知事と荒井退造沖縄県警察部長は県警に解散命令を出し、66年間の歴史に…
9月に再開された郵便事業、65年前のきょう、久米島ではいち早く切手の使用が始まりました。 9月4日、石川の沖縄諮詢会がアメリカ軍から引継いで再開した郵便事業、沖縄本島では翌年7月まで郵便物は無料で配布…
戦争で多くの人が家を失いましたが、その住宅不足を解消しようと考案された仮設住宅が次々と建設されました。 戦争ですべてを焼かれた住民たちは収容所に集められ、窮屈なテント生活を送っていました。 そんな状況…
65年前のきょう、新聞が住民待望の郵便の復活を伝えました。 当時の1通の手紙。残っているのはこの封筒のコピーだけです。終戦直後、貨幣経済は崩壊していたため、郵便は無料で、切手は貼られていません。戦禍で…
65年前のきょう、日本は連合国との「降伏文書」に署名し、正式に連合国に降伏しました。一方沖縄では、沖縄諮詢会を中心に独自の統治に動き出していました。 降伏文書への署名は、東京湾の海上、アメリカ軍の戦艦…
終戦とともに発足した沖縄住民による行政組織沖縄諮詢会では、この頃通信部を設置、郵便の取り扱いを開始します。 沖縄諮詢会では、アメリカ軍政府から業務を引き継ぎ、1945年9月から郵便の取り扱いを開始しま…
終戦から5日後、沖縄に初めて住民による行政組織・沖縄諮詢会が設立します 1945年8月、戦闘終結が近づくにつれ、アメリカ軍政府は「戦闘」状態から「駐留」の段階に移ります。 日本の無条件降伏が決定した8…