10月30日の「世界のウチナーンチュの日」を前に、企画展が始まりました。 企画展は沖縄からハワイに捕虜として送られた県人たちの歴史や現地での生活を多くの人に知ってもらおうと今回初めて開かれました。 会…
戦争当時15歳だった玉那覇清一さんの証言です 玉那覇さん「中学に入ってから勉強らしい勉強はほとんどない。ぼくの同期生は一中健児の塔、向こうにたくさんいます」 県立一中の生徒だった玉那覇清一さんは、通信…
65年前のこのころ、収容所や病院などでは生死もわからなかった家族との再会のドラマがありました。 島袋文子さん「捕虜にされた時の怖かったこと。見たら赤毛の青い目の身長の高いのがいっぱいいて」 6月、南部…
鉄血勤皇隊員として沖縄戦に参加した当時17歳の神谷依信さん、糸満の摩文仁でアメリカ軍の捕虜となり、船でハワイへと送られました。 神谷依信さん「1500隻の軍艦で真っ黒になっていた。海の色が見えないくら…
海上を戦場としていた第22震洋隊は8月下旬、屋嘉収容所周辺で終戦を迎えることとなります。 8月下旬、終戦を知ったひとつの部隊が武装解除し、捕虜となります。第22震洋隊です 太平洋戦争末期、日本海軍が起…
65年前のきょう、戦後初の新聞が復活。収容所で新聞を待ちわびる人々に新しい新聞は何を伝えたのでしょうか。 岡田輝夫さん「米軍のほうからの要請があって収容所内での新聞が作られると」 琉球新報社にある「新…
福元藤吉さん「残っている兵隊、壕に入っている兵隊が、時々、攻撃したりしているんです。それも8月、9月までやっているみたいでした」 糸満市米須の福元藤吉さんは当時10歳。激戦地の南部で家族とともに捕虜に…
日本軍による組織的な戦闘が終わった後も多くの敗残兵が南部に残り、7月に入っても断片的な戦闘は続きます。 投降のビラをアメリカ兵に手渡し、血だらけの状態で捕虜となる日本兵。本島南部では第32軍を率いた牛…
65年前のきょうアメリカ軍は沖縄占領を目的としたアイスバーグ作戦の終了を宣言。次のターゲットを日本本土に定めます。 1945年1月にアメリカ軍がまとめたアイスバーグ作戦の計画書。その中には、目的として…
アメリカ軍の本島上陸から1ヶ月半が経過。本島北部では食糧不足が人々の命を奪っていました。 65年前のきょう5月17日、アメリカ軍の第6海兵師団は現在の那覇新都心、シュガーローフを占領するため、激しく日…
アメリカ軍は那覇市の首里で猛攻撃を加え、迎え撃つ沖縄守備軍を力で圧倒します。 「愉快です!敵艦に体当たり!」65年前のきょうの新聞には日本兵が乗りこむ神風特攻機を女子挺身隊が整備する写真が掲載され、本…
65年前の今頃、山に避難していた名護市辺野古の住民らはほぼ全員山を下りて、早くも学校も復活していました。 初枝さん「私たちは食べ物もいっぱいあったし別に、苦しいというあれはなかったけど」 沖縄本島でも…