戦後70年の今年、QABでは「遠ざかる記憶、近づく足音」として1年間、戦争体験者の貴重なお話、そして、受け継ごうとする人たちを取材してきました。きょうは、戦後70年この1年を振り返ります。 【ひめゆり…
沖縄が多くのものを失った沖縄戦。中には、学校にいけず、学ぶ機会を奪われた人たちがいます。先日、その人たちの証言が本になりました。そこにはどんな思いが込められているのでしょうか。那覇市樋川。ここに、夕方…
「戦後70年遠ざかる記憶近づく足音」戦後70年のことし、ソ連で抑留され死亡した日本人の名簿が公表されました。その中に満州で徴兵された1人の県出身者の名前がありました。父親がどこでいつ亡くなったのかを知…
シリーズ戦後70年です。戦時中、日本兵たちのストレス解消や、戦意を高めるためなどとして、日本の植民地の女性たちに性の相手をさせた、日本軍の「慰安婦」制度。沖縄戦の最中、県内にも「慰安所」が数多く設置さ…
こちらは、糸満市の戦時資料の上下巻合わせて15534ページにも上るこの貴重な資料は、戦後50年の節目に市民3万7047人を対象にした戦争体験の聞き取り調査などを実施して発刊されたものです。 そこには、…
東京都世田谷区にある学校法人和光小学校。6年生が、「平和学習旅行」で沖縄を訪れてことしで29年になります。「修学旅行」ではなく「平和学習旅行」それは、決して観光ではなく、「平和とは何かを沖縄で学ぶ」こ…
「カーン、カーン、カーン」 家々に時を告げる、鐘の音。読谷村、高志保。公民館の屋上から鐘の音が響く光景は、終戦間もないころから続く、日常の一コマです。 宮平哲雄さん「戦前はね、太鼓だったみたいです。太…
沖縄戦のおよそ5か月前、1944年の10月10日、初めての大規模な空襲が沖縄を襲いました。県内全体の死傷者は少なくとも1500人を越えたと言われるこの「10・10空襲」は、なぜ沖縄を標的としたのでしょ…
シリーズ戦後70年、遠ざかる記憶、近づく足音です。これまで様々な人々の戦争体験を伝えてきましたが、きょうは芸能の世界で生きた女優の視点から沖縄戦を考えます 「あんまーの遺言だとうむてぃ肝にすみてぃちち…
石原昌家沖国大名誉教授「一般住民9万4千人となっている中には援護法の申請をして申し立てをして、戦闘参加者と認定されているのは5万4千人になっているわけで」 戦後70年の今年、沖縄県公文書館で、初めて一…
71年前の8月22日、疎開船「対馬丸」がアメリカ軍の攻撃を受けて撃沈し、幼い子どもたちなど約1500人が犠牲になりました。この疎開計画は、沖縄戦が迫る中、戦闘の妨害になりかねないお年寄りや子どもたちを…
戦後70年企画です。終戦の日の8月15日、一冊の本が出版されました。「知られざるユナッパチク壕〜あのとき地の底で何が起きたのか?〜」著者は沖縄戦トラウマに悩まされながらも書き記ししました。70年が経た…
玉音放送「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び…」 今月、昭和天皇が録音した玉音放送の原盤が初めて公開されました。 「非常の措置を以(もっ)て時局を収拾せむ」と、ポツダム宣言の受諾と終戦を伝えた玉音放送…
シリーズ戦後70年「遠ざかる記憶近づく足音」です。さて、この3000という数字。何を意味していると思いますか?この数字は、沖縄戦で、沖縄本島で戦争孤児になった18歳未満の人の数です。ただこれは戦後8年…
沖縄戦の最中、現在のうるま市石川には民間人を収容する為の石川収容所が設置されました。戦争で父親を亡くし、民間収容所の劣悪な環境の中で弟も亡くした男性の思いを追いました。 石川正一さん「へんざ方面からア…