学童疎開船対馬丸の慰霊碑が建立され、3月19日に除幕式が行われました。 対馬丸は1944年、鹿児島県の悪石島の沖合いでアメリカ軍の潜水艦の攻撃を受けて沈没、多くの学童を含むおよそ1480人が犠牲となり…
沖縄戦の歴史はまだその多くが知られておらず、貴重な資料ですがこのほどある資料ができました。9月に発行された名護市史「やんばるの沖縄戦」には北部地域の山の中での戦闘や終戦後の収容所の暮らしなどが記録され…
こちらは先月伊江村に建てられた。沖縄戦の慰霊碑です。71年前の4月23日。伊江村で起きた集団自決。その真実を多くの人に知ってほしい。慰霊碑の建立は、ある女性がずっと願っていたものでした。 古井戸の前で…
23日ある男性が、沖縄を訪れました。沖縄戦、そして、日中戦争、ふたつの戦争を生き抜いた元日本兵の男性が、思いを語りました。 糸満市、平和祈念公園。沖縄戦当時、25歳の自分の舞台の慰霊碑を訪ねたのは、三…
おととし行われた県の調査で、県内には沖縄戦関係の慰霊塔が440基確認されています。しかし、全体のおよそ1割、39基は今後、管理が難しくなると考えられています。その最大の理由が、戦争経験者の「高齢化」と…
真喜志光子さん「山里くんも一緒に壕を出て爆弾をうけて、私は負傷したけれど山里くんは逃げてどこかで生きているはずだからと。結局いくら待ってもこないから、やっぱりもう…」 真喜志光子さん(85歳)。二つ下…
15日、那覇市の対馬丸記念館に鹿児島の板金加工の職人が折った銅板製の千羽鶴が贈られました。 学童疎開船・対馬丸は1944年鹿児島県悪石島近海でアメリカ軍の潜水艦の攻撃を受け沈没しました。銅板製の千羽鶴…
戦争で多くの同僚を失った元県職員たち。慰霊碑建立の動きが次第に高まっていきました。 沖縄戦最後の激戦地・糸満市摩文仁にある島守の塔。65年前の今頃はまだ砲弾の跡が生々しく残り、多くの亡骸が横たわってい…
蝶が舞う公園を作ろうと7日那覇市で植樹祭が行われました。「花いっぱい蝶舞う未来公園まつり」と題されたこの植樹祭は対馬丸記念会が初めて実施したもので、地域の子どもたちなどおよそ150人が参加しました。 …
宜野湾市にある慰霊碑に供えてあった千羽鶴が、何者かによって燃やされ警察が器物損壊事件として捜査しています。 宜野湾警察署によりますと千羽鶴は、宜野湾市の、嘉数の塔に供えてあったもので、13日、朝6時ご…
太平洋戦争当時、南洋群島での戦闘で犠牲となった県出身者の慰霊のため、遺族らが4日、サイパンに向けて出発しました。 南洋群島に向けては、去年まで、県内から墓参団として40回にわたり慰霊を続けてきましたが…
51年前、うるま市の宮森小学校にアメリカ軍機が墜落した大事故。この事故で亡くなった住民の名前を刻んだ刻銘碑が完成しました。 宮森小学校で開かれた除幕式には遺族をはじめ、当時の児童や教師が出席し、犠牲者…
異国の戦争のために強制的に動員された朝鮮人の軍夫達。沖縄でも過酷な労働を負わされ、その殆どが、祖国の土を2度と踏むことなく人生を終えました。 太平洋戦争中、沖縄に強制的に連行されてきた朝鮮人軍夫。65…
身近かにある地域の慰霊碑を通して平和について考えようと石垣市の小学生が慰霊集会を開きました。これは今月の「慰霊の日」を前に地域にある慰霊碑、暁の塔を通して戦争や平和について考えようと開かれました。 「…
沖縄戦のさなかに起きた集団自決の記述を巡って、おととし県民の怒りの声が上がった教科書検定問題。この問題ではこれまでほとんど表に出ることがなかった教科書執筆者たちの存在も注目されました。執筆者たちの多く…