1000人を超える子どもが犠牲となった学童疎開船「対馬丸」の沈没からまもなく77年になるのを前に、慰霊祭が行われました。 2021年の慰霊祭は、新型コロナの影響で去年に続き規模を縮小して執り行われ、生…
戦時遭難船舶犠牲者の慰霊祭に代わるお清め式が6月14日、那覇市内で行われました。 戦時避難船舶遺族会の大城事務局長「コロナの感染防止のためとはいえ、慰霊祭を初めて中止するのは残念の極み」1978年に始…
新型コロナの影響で、4月から休館していた対馬丸記念館が22日再開されました。 40日以上の休館を経て再開した対馬丸記念館。1944年に多くの子どもたちを乗せて鹿児島県悪石島沖で沈没した学童疎開船「対馬…
2019年組踊上演300周年と対馬丸記念館開館15周年を記念して、上演された舞台が19日、那覇市で再演されることになりました。新作組踊「対馬丸」は芥川賞作家・大城立裕さんが手がけるものです。 1944…
戦争中、アメリカ軍の潜水艦に撃沈された「対馬丸」の慰霊祭が25日、奄美大島の宇検村でありました。 学童疎開船「対馬丸」は1944年の8月22日、沖縄から長崎に向かっていましたが、アメリカ軍の攻撃を受け…
75年前に起きた学童疎開船「対馬丸」の悲劇。それは決して過去の出来事として終わらせるものではありません。対馬丸が今の私たちに残す教訓とは何なのか考えます。 中村清さん「火花をあげて上に(船が)持ちあが…
75年前の22日、米軍の攻撃によって、児童など1484人が犠牲になった疎開船「対馬丸」の慰霊祭が営まれました。 撃沈事件から75年の22日、那覇市の「小桜の塔」では午前11時から慰霊祭が営まれました。…
75年前、沖縄戦が始まる前の年、アメリカ軍の攻撃によって児童784人らが犠牲になった疎開船「対馬丸」の慰霊祭が営まれています。 撃沈事件から75年となる8月22日の慰霊祭は、那覇市の「小桜の塔」で午前…
那覇市の「小桜の塔」では27日、子どもの日を前に鯉のぼりの掲揚式が行われました 沖縄戦前夜の1944年、アメリカ軍によって撃沈され疎開中の多くの子ども達が犠牲となった「対馬丸」。子どもたちの慰霊碑、小…
沖縄戦が終わって、ことしで74年。しかし、いまだに土の中からは戦争で犠牲になった遺骨が出てきます。兄弟の遺骨を家族の墓に入れたい。一人の女性の願いの前に横たわる課題とは何なのでしょうか。 去年12月に…
学童疎開船対馬丸が撃沈されてから22日で73年です。那覇市内で、2017年も慰霊祭が執り行われました。那覇市若狭の小桜の塔で行われた対馬丸犠牲者慰霊祭。生存者や遺族ら400人が参列しました。 対馬丸記…
学童疎開船対馬丸の慰霊碑が建立され、3月19日に除幕式が行われました。 対馬丸は1944年、鹿児島県の悪石島の沖合いでアメリカ軍の潜水艦の攻撃を受けて沈没、多くの学童を含むおよそ1480人が犠牲となり…
さてこちらの船が対馬丸です。73年前、沖縄戦が始まる前の年、疎開途中でアメリカの潜水艦に撃沈され幼い子どもたち783人を含む1482人の命が奪われました。 3月、犠牲者などが多く流れ着いた奄美大島に慰…
沖縄戦の歴史はまだその多くが知られておらず、貴重な資料ですがこのほどある資料ができました。9月に発行された名護市史「やんばるの沖縄戦」には北部地域の山の中での戦闘や終戦後の収容所の暮らしなどが記録され…
疎開する児童らの命が無残に奪われてから8月22日で72年。慰霊祭が行われました。対馬丸は、沖縄戦の始まる前の年、疎開のため多くの児童を乗せた学童疎開船でしたが、疎開の途中、アメリカ軍の攻撃で撃沈され児…