おととし、西原町の沖縄戦当時の壕から見つかった5体の遺骨の身元を、DNA鑑定で特定しようと関係者への説明会が開かれました。 西原町役場での説明会には見つかった遺骨が自分の身内ではないかと集まった関係者…
戦後2番目の高校、コザ高校が開校。授業の再開、同級生との再会。そこにはふたつの喜びがありました。 花城さん「だいたいあの一帯あたりでした。今はその跡形もない」 65年前の10月7日、沖縄市・室川小学校…
65年前のきょう、戦後初の新聞が復活。収容所で新聞を待ちわびる人々に新しい新聞は何を伝えたのでしょうか。 岡田輝夫さん「米軍のほうからの要請があって収容所内での新聞が作られると」 琉球新報社にある「新…
1945年に生まれ、今年65歳になった方たちが慰霊の日を前に摩文仁の丘に集まりました。 65年前のきょう6月22日。32軍司令部のある摩文仁の丘は完全にアメリカ軍に囲まれ、敗残兵のわずかな抵抗があるだ…
高額なお金を支払って買った壕の中で最愛の親族を失った住民がいました。 与座岳のふもとにある第二与座壕。250円を支払ってこの壕に入った松茂良美智子さん一家にも、日々、悪化していく戦況が手に取るようにわ…
65年前の5月中旬、アメリカ軍が首里に迫る中、なくなく南部に移動させられた松茂良美智子さん。戦争の混乱でもお金に貪欲の人たちに苦しめられます。 那覇の壕を追い出され、およそ2時間かけてここ糸満市与座岳…
沖縄本島の総攻撃が始まって2日目のきょう、与那国島の国民学校では入学式が行われました。 与那国島を襲う激しい空襲。与那国国民学校は1945年2月以降、授業ができなくなっていました。しかし4月2日、国民…
65年前、日本軍は近づく地上戦に向けて地下の防空壕で生活するよう県民に要求します。 「横穴を増強せよ!」「日常生活は地下で!」 65年前のきょうの新聞には、それまで一時的な待機場所として使用されてきた…