65年前のきょう、戦後初の新聞が復活。収容所で新聞を待ちわびる人々に新しい新聞は何を伝えたのでしょうか。 岡田輝夫さん「米軍のほうからの要請があって収容所内での新聞が作られると」 琉球新報社にある「新…
1945年に生まれ、今年65歳になった方たちが慰霊の日を前に摩文仁の丘に集まりました。 65年前のきょう6月22日。32軍司令部のある摩文仁の丘は完全にアメリカ軍に囲まれ、敗残兵のわずかな抵抗があるだ…
現在の豊見城市にある旧海軍司令部壕。アメリカ軍に包囲され、すでに孤立していた司令部の大田實司令官は1945年6月13日午前1時頃、この司令官室でけん銃自決を遂げました。 13日、40回目を迎えた慰霊祭…
アメリカ軍が首里の司令部に迫る65年前のきょう、那覇市繁多川の防空壕を追い出され、なくなく南部へ移動する住民がいました。 アメリカ軍が上陸する前から、那覇市繁多川にある石田の壕に避難していた松茂良美智…
4月1日に本島へ上陸し、南下したアメリカ軍ですが、首里の司令部に近づくにつれ、沖縄守備軍の抵抗が激しくなり、大謝名、我如古、和宇慶ラインで停滞。そのため、アメリカ軍は、兵力・兵器を補給し、陸・海・空か…