慰霊の日の23日、石垣市では戦争マラリア犠牲者の追悼式が行われました。「八重山戦争マラリア犠牲者慰霊之碑」で行われた追悼式には、遺族や市民らおよそ300人余りが参加し犠牲者に祈りを捧げました。 沖縄戦…
沖縄戦の時、波照間島の人たちがマラリアの有病地帯である西表島に強制疎開させられ、島の30%もの人々が亡くなった「戦争マラリア」。強制疎開を迫った人物について証言を追いました。 日本最南端の島、波照間島…
65年前のこのころ、収容所から戻った少年が見たのは、地上戦の犠牲になった住民の姿でした。 渡久地昇永さん「毎日もう10名ぐらいの人が亡くなって」 1945年6月、アメリカ軍が名護市辺野古に設置した大浦…
65年前のこのころ、収容所では住民たちがアメリカ軍の作業をして生活物資を得る軍作業が始まりました。 本島上陸以降、アメリカ軍は沖縄守備軍と闘いながら、次々と住民を収容所へ送り込みました。琉球大学の川平…
6月2日、空襲が激しくなった八重山では、山岳地への住民避難が始まりました。台湾へ疎開せずに石垣島に残った住民は5月までは空襲があっても自分の家で生活をしていましたが5月末からはアメリカ軍の攻撃が激しさ…
アメリカ軍の本島上陸から1ヶ月半が経過。本島北部では食糧不足が人々の命を奪っていました。 65年前のきょう5月17日、アメリカ軍の第6海兵師団は現在の那覇新都心、シュガーローフを占領するため、激しく日…
1938年に開園し、国が隔離政策でハンセン病患者を収容した沖縄愛楽園には、1944年の日本軍の一斉収容で沖縄全域から900人あまりの患者が集められました。 そして、当時の早田園長の指揮のもと、体の不自…
空襲が激しくなる中、八重山の高等女学校の生徒たちに看護術教育が実施されました。 日本軍はアメリカ軍の進攻を阻止するため、旅団を置いた石垣島で徹底抗戦の作戦に出ました。しかし、空襲は日増しに激化。このた…
1945年1月14日、沖縄県は八重山支庁にマラリア防止策の係を設置しました。 八重山におけるマラリア有病地帯の調査は戦前から行われていて、石垣島や西表島の山岳地帯はマラリアの巣窟だとの調査結果が出てい…
石垣市で23日、戦時中のマラリアによる犠牲者を追悼する式が行われました。八重山では、住民が当時、マラリアが蔓延していた山間地に強制避難させられ、3600人がマラリアに感染して死亡しました。 23日に行…