こちら、ご覧下さい。暗い壕、ガマから外の明かりが漏れています。ガマは、沖縄戦のとき、旧日本軍や、住民らが使い、多くの命が救われ、そして亡くなった場所でもあります。 この壕が今、ある問題を抱えています。…
県内にあるガマや壕を戦争の記憶として保存し平和教育にどう活かすかを考えるシンポジウムが11日、那覇市で開かれました。 65年前に激しい戦争を経験した沖縄ですが、ガマや壕の跡など保存されているものは少な…
ここは、糸満市宇江城にあるクラガー。もともと集落の水汲み場として使われていましたが、第24師団が後退してきてからは、その司令部がおかれました。 糸満市史には住民の犠牲者について、アメリカ軍の攻撃だけで…
沖縄戦の悲惨さを伝える防空壕やガマなどを文化財として保存してもらおうと、22日に市民グループが県議会に要請を行いました。 県議会を訪ねたのは1フィート運動の会のメンバーで、県内各地に残っている沖縄戦当…
65年前のきょう、わずかな希望を胸に壕の中で厳しい生活を送っていた人がいました。 松茂良美智子さん「ただ怖いからここに入って、怪我しないようにということだけしか考えなかった」 当時13歳の松茂良美智子…
1945年3月から5月にかけ、県警や県庁職員が避難しつつ職務を遂行したのが那覇市の「県庁壕」でした。 那覇市の識名霊園近くの「シッポージヌガマ」を整備したこの壕は「県庁壕」と呼ばれています。 県民の県…
住民、学徒総出で決戦の日に備えていた沖縄。しかし、日本軍の戦況は悪くなるばかりで、沖縄守備隊も部隊配属の変更など、戦いの前から苦しい状況となります。 ごつごつとした石灰岩の岸壁。そこには自然に出来た窪…