「カーン、カーン、カーン」 家々に時を告げる、鐘の音。読谷村、高志保。公民館の屋上から鐘の音が響く光景は、終戦間もないころから続く、日常の一コマです。 宮平哲雄さん「戦前はね、太鼓だったみたいです。太…
沖縄戦で家族を失ったり、今も精神的な後遺症などに苦しむ人たちが、政府に謝罪と損害賠償を求めている裁判の最終弁論が開かれました。 この裁判では、沖縄戦で家族を失ったり、過酷な体験が元で今も身体や精神に後…
石原昌家沖国大名誉教授「一般住民9万4千人となっている中には援護法の申請をして申し立てをして、戦闘参加者と認定されているのは5万4千人になっているわけで」 戦後70年の今年、沖縄県公文書館で、初めて一…
70年前の沖縄戦やその後のアメリカ軍による統治時代など沖縄が歩んできた歴史を県外の人たちに知ってもらおうというドキュメンタリー映像祭が長野と東京で開かれます。 映像祭では、県内の放送局4社が過去に放送…
シリーズ戦後70年「遠ざかる記憶近づく足音」です。さて、この3000という数字。何を意味していると思いますか?この数字は、沖縄戦で、沖縄本島で戦争孤児になった18歳未満の人の数です。ただこれは戦後8年…
沖縄戦の最中、現在のうるま市石川には民間人を収容する為の石川収容所が設置されました。戦争で父親を亡くし、民間収容所の劣悪な環境の中で弟も亡くした男性の思いを追いました。 石川正一さん「へんざ方面からア…
沖縄戦などで亡くなって身元がわからない戦没者の遺骨のDNA鑑定について、厚生労働省は、対象範囲を拡大する方針を決めました。 遺骨のDNA鑑定については県内で遺骨集集を続けるボランティア団体ガマフヤーが…
70年前、人々の生活とふるさとを破壊した沖縄戦の実態を伝える企画展が、宜野湾市立博物館で始まりました。これは、沖縄戦の直前にアメリカ軍が撮影した航空写真で、現在の普天間基地がある場所に学校、住宅、畑な…
沖縄戦当時の不発弾の調査や発掘、処理などの計画を検討する協議会が開かれました。 協議会では、不発弾が防護壁内で爆発した際の破片が飛散する距離の検証結果が報告され、最大で50メートル避難距離が拡大するこ…
沖縄戦などで犠牲になった人の名前を刻む平和の礎に、2015年、新たに追加された87人の名前が刻まれた石版が、6月10日、糸満市摩文仁の平和の礎に設置されました。 この設置を見守っていた、兄を戦争で亡く…
沖縄戦終焉の地である糸満市は、戦争体験を継承し、若い世代に伝えていくため14の平和関連事業を行うと発表しました。 上原常裕市長は「街づくりの基本理念として光・緑・祈りというものを掲げております。それは…
沖縄戦終結から70年の節目に、戦前からの那覇市の街並みの写真や資料などから戦争や平和について考える企画展が那覇市で開かれています。 企画展では戦前・戦中・戦後を通した首里や那覇の写真や資料408点が展…
70年前の沖縄戦で激戦地の1つだった、現在の那覇市真嘉比で小学生が自分の住む地域の戦争の傷跡を学びました。 那覇市真嘉比にある大道森(だいどうむい)、通称ハーフムーンは、70年前の5月、首里の司令部を…
5月26日、宜野湾市で、アメリカ製の125キロ爆弾の不発弾が発見されました。7月上旬を目途に、現場で処理する予定で調整しているということです。 不発弾が見つかったのは、宜野湾市真志喜の県立宜野湾高校や…
県平和祈念資料館できょうから始まった企画展「捨て石にされた沖縄」では、沖縄戦はある日突然始まったものではなく、沖縄戦の前の年にはサイパン島やテニアン島などが壊滅し、アメリカ軍の次の標的が日本軍の飛行場…