戦後70年企画です。沖縄戦当時をはっきりと記憶している世代は70代後半より高齢となり、戦争体験の継承が課題となっています。長年証言を続けてきた元ひめゆり学徒たちも80代後半。自らの体験を若い世代へと引…
戦争の記憶を受けつぎ、継承するという課題は今私たちの大きなテーマでもあります。 沖縄の基地問題から戦争や平和について考える「お笑い米軍基地」の演出家は、そのテーマについて向き合っていました。 コント「…
名護市にひっそりとたたずむ墓地。毎年、6月になると私の父はここを訪れます。 山田さん「きょうはお墓の掃除に来ました。 私は生き残って、辰夫君は17歳で亡くなって、これはもう、そういうことなんだよね。」…
中川栞「時おり激しい日差しが照り付ける中、ここ平和の礎では朝早くから多くの人たちが手を合わせています。」 戦争体験者の女性「だんだん薄くなっていくような濃ゆくなっていくような何とも言えない感情ですね。…
戦後70年の慰霊の日まであと1週間です。 きょうは、「戦後70年」と「辺野古移設」について、朝日新聞、沖縄タイムスと共同で実施した意識調査の結果をお伝えします。調査は13日から14日にかけ、県内の有権…
戦後70年の慰霊の日を前に、QABが朝日新聞、沖縄タイムスと共同で実施した意識調査で、沖縄戦の記憶が「風化している」と答えた人が68%に上りました。 意識調査は、6月13日と14日、ご覧の方法で実施し…
沖縄戦の被害者や遺族たちが国に謝罪と損害賠償を求めている裁判があります。その原告にアメリカから参加した女性がいました。彼女が子どもたちにも話せなかった壮絶な戦争体験、家族の沖縄の旅に密着しました。 新…
沖縄戦では軍民合わせて20万人を越える人たちが犠牲となりました。その中に、目や耳、体が不自由な障害者がどれほどいたのか、未だわかっていません。自らの戦争体験を伝え続ける、全盲の男性がいます。 県立盲学…
シリーズ「遠ざかる記憶、近づく足音」です。70年前の沖縄戦、本島南部で地上戦が続く中、北部では「捕虜収容所」での生活を始まっていました。辺野古崎にあった大浦崎収容所で生まれた一人の医師の思いを聞きまし…
〜アバン〜シリーズ戦後70年企画「〜遠ざかる記憶近づく足音〜」です。 沖縄戦の最中でも、戦況を伝えていた新聞記者がいたことをご存じでしょうか。当時の新聞が何を伝えたていたのかを見つめる中で戦後70年を…
中山きく共同代表「私たち(沖縄戦)体験者にとっては、決して戦争悲惨さを忘れることはできない」「(翁長)知事の後押しを少しでもできればいいなと」 辺野古新基地建設反対の県民大会で共同代表の1人として立ち…
比嘉豊光さん「ここにですねまだ破片が残っている」「これが(沖縄戦を生き抜いた)証明ということですよね」 シリーズ戦後70年「遠ざかる記憶、近づく足音」です。報道写真家として知られる比嘉豊光さん、これま…
今年は戦後70年。街並みから、戦の傷跡を見つけることも難しくなりましたが今も家族の遺骨を探し求める人がいます。当時5歳で亡くなった妹を探し続ける84歳の兄の姿を追いました。 保志門繁さん「あっ、だいた…
初代ネーネーズで活躍し、ソロ活動でも「童神」のヒットなどで知られる古謝美佐子さん。ステージで平和や基地の問題についても発信しています。そして62年前のきょう沖縄が迎えた「屈辱の日」についても語りました…
20万トン。この数字は何の数字かというと沖縄戦で投下されたとされる爆弾の量です。そのうちおよそ1万トンが不発弾として地中に埋まったと言われています。先月、その不発弾で多くの死傷者を出した事故を風化させ…