学童疎開船対馬丸が撃沈されてから22日で73年です。那覇市内で、2017年も慰霊祭が執り行われました。那覇市若狭の小桜の塔で行われた対馬丸犠牲者慰霊祭。生存者や遺族ら400人が参列しました。 対馬丸記…
疎開船で犠牲になった人たちの冥福を祈る慰霊祭が6月23日、那覇市で行われました。戦時遭難船舶遺族会の大城敬人会長代行は「私たち遺族は犠牲になった家族のことを片時も忘れたことはありません」と挨拶。 那覇…
6月4日、ハワイではアメリカ軍の捕虜となり、ハワイの収容所で亡くなった県出身者の慰霊祭が行なわれます。実行委員会のメンバーが慰霊祭への思いを語りました。 実行委員会によりますと、戦後ハワイには捕虜とな…
八重山地方を襲った明和の大津波の慰霊祭が4月24日、石垣市で行われました。 明和の大津波は1771年の4月24日、石垣島の南南東沖で発生した地震で、マグニチュードは7.4と推定されています。この地震に…
特集です。読谷村にあるチビチリガマという壕をご存知でしょうかこの場所で72年前の4月、集団自決によって10代の子どもたちを含む85人が犠牲になりました。 「悲劇を二度と繰り返さない」と、先日、慰霊祭が…
75年前、山口県の炭鉱で起きた痛ましい水没事故がありました。県出身者も犠牲になった事故の慰霊祭が2月18日営まれました。 1942年2月3日、山口県宇部市にあった長生炭鉱で、海底に掘られた坑道が水没し…
那覇市の約9割が焼け野原になった「10・10空襲」からきょうで72年。慰霊祭が営まれました。 72年前の10月10日、県内全域を襲った大空襲では約670人が死亡、那覇市では90%以上が焼け野原になりま…
疎開する児童らの命が無残に奪われてから8月22日で72年。慰霊祭が行われました。対馬丸は、沖縄戦の始まる前の年、疎開のため多くの児童を乗せた学童疎開船でしたが、疎開の途中、アメリカ軍の攻撃で撃沈され児…
平和への誓いを新たにしました。 旧海軍司令部壕の慰霊祭は、「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電文で知られる大田實司令官が自決した6月13日に毎年開かれているものです。慰霊祭には、県内外の多くの遺族や関係者が参列…
山本記者は現場から「南城市では、動物慰霊祭が行われています。天寿を全うできなかった犬や猫を一匹でも減らそうと深い祈りに包まれています」と様子を伝えました。 慰霊祭に参加した工藤俊一獣医師は「ちゃんとし…
豊見城市の海軍壕公園で、13日、慰霊祭が行われ、遺族らが戦没者の御霊に恒久平和を祈願しました。この慰霊祭は、「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電文で知られる大田實司令官が自決した6月13日に合わせ毎年開かれてい…
70年前の3月26日、アメリカ軍は座間味島に上陸。県民の4人にひとり、そして日米あわせ20数万人が犠牲となった沖縄戦が始まりました。 当時、およそ170人が集団自決に追い込まれた座間味村では26日、慰…
アメリカ軍のよる大空襲「10・10空襲」が起きて10日で70年。那覇市では、犠牲者を悼み慰霊祭が開かれました。70年前の10月10日、県内全域を襲ったアメリカ軍の大空襲では660人以上が死亡、那覇市は…
1944年、沖縄戦の前の年アメリカ軍の魚雷攻撃で幼い子どもらを含むおよそ1500人が乗った対馬丸が撃沈されて70年の慰霊祭が22日夜、関係者だけで執り行われました。 那覇市の対馬丸記念館屋上で行われた…
第2次世界大戦の最中尖閣列島近海でアメリカ軍の攻撃を受けて沈没した疎開船で亡くなった人たちの慰霊祭が石垣市で3日行われました。 この慰霊祭は1945年7月3日に石垣から台湾へ向かう途中アメリカ軍機の攻…