78年前の沖縄戦で旧海軍が陣を構えた豊見城市にある「旧海軍司令部壕」で6月13日に慰霊祭が行われました。 旧海軍司令部壕の慰霊祭は例年、司令官の大田實中将が自決したとされる”6月13日&#…
1000人を超える子どもが犠牲となった学童疎開船「対馬丸」の沈没からまもなく77年になるのを前に、慰霊祭が行われました。 2021年の慰霊祭は、新型コロナの影響で去年に続き規模を縮小して執り行われ、生…
沖縄戦で集団自決があった読谷村波平のチビチリガマで、4月4日、慰霊祭が行われました。 2020年の慰霊祭は、新型コロナウイルスの影響で、入り口にアルコール消毒液を設置。テント内では供え物の食事を行わず…
戦後75年の今年、「非戦の誓い」と題し、シリーズでお伝えしています。1回目のきょうは、島民およそ170人が「集団自決」に追い込まれた座間味島。なぜこの悲劇が起きたのか、生き残った人たちの貴重な証言を聞…
飼い主に捨てられ、殺処分された動物たちの慰霊祭が南城市で行われました。慰霊祭には、動物を保護するボランティア団体などが出席し、祈りを捧げました。 県内での、イヌやネコの殺処分数は、譲渡数が増えているこ…
戦争中、アメリカ軍の潜水艦に撃沈された「対馬丸」の慰霊祭が25日、奄美大島の宇検村でありました。 学童疎開船「対馬丸」は1944年の8月22日、沖縄から長崎に向かっていましたが、アメリカ軍の攻撃を受け…
太平洋戦争の際に南洋群島で犠牲になった県出身者を慰霊するため、玉城知事がサイパンへ向け出発しました。 高齢化などのため、2019年で最後となる慰霊と交流の旅には、玉城知事をはじめおよそ130人が参加し…
75年前の22日、米軍の攻撃によって、児童など1484人が犠牲になった疎開船「対馬丸」の慰霊祭が営まれました。 撃沈事件から75年の22日、那覇市の「小桜の塔」では午前11時から慰霊祭が営まれました。…
75年前、沖縄戦が始まる前の年、アメリカ軍の攻撃によって児童784人らが犠牲になった疎開船「対馬丸」の慰霊祭が営まれています。 撃沈事件から75年となる8月22日の慰霊祭は、那覇市の「小桜の塔」で午前…
慰霊の日を前に、豊見城市の旧海軍司令部壕で慰霊祭があり、遺族や関係者らおよそ120人が参列して戦没者を追悼しました。 慰霊祭は、沖縄戦の悲惨な歴史を二度と繰り返さないことを誓い、毎年、大田實司令官らが…
8月22日で74年。歳月は過ぎても遺族の悲しみは癒えません。沖縄戦の始まる前の年、多くの子どもたちを乗せた疎開船「対馬丸」が撃沈されました。 その慰霊祭が行われました。74年前の22日、沖縄戦に巻き込…
今からちょうど70年前のきょう、沖縄戦が終わって3年後の伊江島で起きたアメリカ軍の弾薬を運ぶ船が爆発した事故によって死者102人、負傷者76人の大惨事が起きました。 あれから70年、きょう伊江島で慰霊…
事故からあすで59年です。アメリカ軍の戦闘機が墜落したうるま市の宮森小学校で、29日朝、慰霊祭が行われました。 1959年6月30日、整備不良のアメリカ軍の戦闘機が、うるま市石川の宮森小学校に墜落し、…
1771年、明和8年に八重山地方を襲った「明和の大津波」で犠牲になった人々への慰霊祭が、24日に石垣市で行われました。 1771年4月24日に石垣市の南南東沖で発生したマグニチュード7.4と推定される…
沖縄戦当時、住民の集団自決があった読谷村のチビチリガマで、7日、慰霊祭が行われました。 読谷村のチビチリガマでは、当時の生存者や遺族、村役場の職員などおよそ20人が参列し、壕の中の納骨堂に手を合わせ、…