Q+リポートです。沖縄からの疎開者を乗せた船「対馬丸」の事件について、先月から始まったリポートの2回目です。事件から70年、体験者の高齢化が進む中、戦争の悲惨さをどう次の世代へとつないでいくのか。対馬…
沖縄戦前夜の1944年、アメリカ軍の攻撃をうけ沈没した学童疎開船・対馬丸の犠牲者を追悼する慰霊祭が、22日、那覇市若狭の小桜の塔で営まれました。 1944年8月22日、長崎へ疎開する子どもたちを乗せた…
68年前の8月22日、アメリカ軍の潜水艦の攻撃を受けて沈没した学童疎開船「対馬丸」。2012年も犠牲者を追悼する慰霊祭が小桜の塔で執り行われました。 「多くの夢と希望を頂いていた幼い子どもたちが、国策…
太平洋戦争末期、東京から各地に疎開した子どもたちの生活を伝える特別展が那覇市の対馬丸記念館で開かれています。 特別展では、太平洋戦争末期、東京の子どもたちが疎開先で描いた600日にも及ぶ絵日記や記念写…
全国の平和博物館の学芸員や館長が集まる会議が17日、糸満市のひめゆり平和祈念資料館で開かれました。 この会議は平和の尊さを伝える担い手となる平和博物館が情報交換をしながら、その役割を確認しようというも…
那覇市の市制90周年を記念して公演される対馬丸の悲劇を描いた平和劇「命どぅ宝」。出演する子どもたちの猛練習が8月29日も行われました。 平和劇「命どぅ宝」には那覇市に住む3歳から小学6年生までの児童4…
67年前、アメリカ軍の魚雷の攻撃を受けて沈没し、およそ1500人が犠牲になった対馬丸の慰霊祭が22日、那覇市で開かれました。 対馬丸は1944年、沖縄の子どもたちや引率者を疎開させようと長崎に向かって…
67年前、アメリカ軍の魚雷攻撃を受けて沈没し子どもたちなどおよそ1500人が犠牲になった対馬丸の慰霊祭が那覇市で開かれています。那覇市の小桜の塔には朝早くから対馬丸の生存者や遺族たちが集まり、手を合わ…
15日、那覇市の対馬丸記念館に鹿児島の板金加工の職人が折った銅板製の千羽鶴が贈られました。 学童疎開船・対馬丸は1944年鹿児島県悪石島近海でアメリカ軍の潜水艦の攻撃を受け沈没しました。銅板製の千羽鶴…
学童疎開船・対馬丸の悲劇を通して平和の大切さを伝えたいと、15日に対馬丸記念館で「いのちの歌コンサート」が開かれます。 このコンサートは1944年8月22日、アメリカ軍の潜水艦の攻撃で沈没した学童疎開…
今から66年前、アメリカ軍の魚雷攻撃で沈没した学童疎開船対馬丸の特別展が23日、那覇市の対馬丸記念館で始まりました。 特別展「僕のわたしの対馬丸」は2004年の開館からこれまでに対馬丸記念館に寄せられ…
鳩山総理大臣が23日午前沖縄を訪れ仲井真知事と会談しました。鳩山総理は普天間基地の移設先を名護市のキャンプ・シュワブ沿岸部のある辺野古周辺とする日米での合意案を伝えましたが仲井真知事は県内への移設は難…
沖縄戦当時、アメリカ軍の潜水艦の攻撃を受けて沈没した学童疎開船対馬丸の慰霊祭が22日に那覇市で行われました。対馬丸は65年前の22日、アメリカ軍の潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没し、学童775人を含む14…
今から65年前の沖縄戦前夜、アメリカ軍の攻撃をうけ沈没した学童疎開船、「対馬丸」の犠牲者の為に3日、子ども達がシーサーを製作しました。那覇市壺屋小学校で自らの体験を語った生存者の上原清さんは「今も海に…
学童疎開船対馬丸の犠牲者を追悼する対馬丸記念館が、今年、会館5周年を迎えることから、展示品の一部リニューアルすることになりました。これは27日、対馬丸記念会の高良政勝会長が発表しました。 それによりま…