18日午前、西原町で自動車道の一部を通行止めにして不発弾処理が行われ、さきほど午前11時前に終了しました。 2015年3月21日に西原町徳佐田の側溝の工事現場から沖縄戦当時のアメリカ製5インチ艦砲弾が…
20万トン。この数字は何の数字かというと沖縄戦で投下されたとされる爆弾の量です。そのうちおよそ1万トンが不発弾として地中に埋まったと言われています。先月、その不発弾で多くの死傷者を出した事故を風化させ…
旧石垣空港跡地の工事現場で発見された不発弾の処理作業が18日、行われました。 不発弾は2015年1月と3月に相次いで発見されたアメリカ製の250キロと50キロ爆弾です。不発弾が見つかった旧空港跡地は再…
1974年、今から41年前の3月2日、那覇市小禄の幼稚園で不発弾が爆発し、4人が亡くなりました。当時の悲惨な状況を後世に伝えようと、記念碑が建立されました。 式典には、園児や保護者、当時の関係者などが…
1月に、中城村で見つかった不発弾の処理作業が2月19日の朝行われ、先ほど終了しました。今回処理された不発弾は、沖縄戦当時に使用されたアメリカ製の5インチ艦砲弾2発です。 19日午前9時、現地対策本部が…
県内で見つかった不発弾のうち、アメリカ製の化学弾と疑われる砲弾の発見が2008年以降で6件に上っていることがわかりました。これは国や県、警察や自衛隊などが不発弾対策を話し合う協議会の中で、沖縄総合事務…
2015年3月に返還予定のキャンプ瑞慶覧西普天間住宅地区の跡地利用について、宜野湾市は15日から文化財の試掘調査を始めます。 12日に開かれた跡地利用を話し合う協議会には地権者をはじめ、宜野湾市や県、…
69年前の沖縄戦当時に使用されたアメリカ製の50キロ爆弾が那覇市の住宅街で発見され、多くの住民が避難する中、不発弾処理が行われました。不発弾は那覇市内の下水道工事現場で発見されました。 処理に伴い、周…
那覇空港の沖合で見つかった不発弾が、30日朝、海中で爆破処理されました。不発弾は第2滑走路工事の際の調査で見つかったもので、アメリカ製の艦砲弾9発、あわせておよそ270キロです。 30日午前7時前には…
沖縄戦で残された不発弾による事故を防ぐため、建設会社などが磁気探査器の使い方を学ぶ研修会が24日那覇市で開かれました。 研修会には、公共工事などに関わる建設会社や設計会社などが参加しました。 講師を務…
13日、糸満市で住民100人余りが避難する中、不発弾処理が行われました。不発弾は、糸満市伊原の工事現場で2月に見つかったアメリカ製250キロ爆弾です。 発見現場から半径288メートルに住む55世帯10…
豊見城市で沖縄戦当時に投下されたものとみられる不発弾の処理が22日に行われ、1400人余りに避難が呼びかけられました。不発弾は、豊見城市翁長の土地の造成現場で1月に見つかったアメリカ製250キロ爆弾で…
2013年に見つかった不発弾の爆破処理作業が宮古島市で行われました。 海中で爆破処理されたのは、2013年9月に平良港下崎地区で防波堤の改良工事中に見つかった3インチ砲弾4発と5インチ砲弾1発、手榴弾…
西原町では2日、住民50人余りが避難する中不発弾の処理が行われました。 不発弾が見つかったのは西原町棚原の住宅地で、2日午前9時過ぎから西原町や浦添警察署が半径75メートル以内の35世帯、住民50人余…
2013年12月に糸満市の工事現場で見つかった重さ1tの不発弾が26日、周辺住民およそ480人が避難対象となるなか処理されました。 見つかった不発弾は重さ1トン、長さおよそ180センチ、直径およそ60…