65年の前のきょう第32軍牛島満司令官のもとにある書簡が届きました。それは、アメリカ軍沖縄占領軍部の総司令官バックナー中将からでした。 『閣下の率いる軍隊は、勇敢に戦い善戦しました—。従いまして本官が…
65年前のきょう、首里の住職が率いる永岡隊は、糸満で再び合流し、生きていることを喜び合いますがそれもつかの間でした。 首里の安国寺の住職・永岡敬淳が率いる「永岡隊」。沖縄県人で編成された永岡隊は、第3…
南への進撃を続けるアメリカ軍はこの日、ついに糸満の照屋付近まで到達します。 65年前のきょう撮影された写真。現在の那覇空港の場所にあった小禄飛行場を制圧したアメリカ軍は、南部への進撃を確実に強化してい…
本島を南北に分断して侵攻を続けるアメリカ軍は金武町を完全に制圧。海軍を率いる当時の大田実少将は一週間後の自決を前に、訣別の電報を打ちます。 金武掃討作戦と呼ばれた戦闘に参加するアメリカ兵達。連日、たく…
高額なお金を支払って買った壕の中で最愛の親族を失った住民がいました。 与座岳のふもとにある第二与座壕。250円を支払ってこの壕に入った松茂良美智子さん一家にも、日々、悪化していく戦況が手に取るようにわ…
沖縄本島南部への進撃を進めるアメリカ軍、65年前のきょうアメリカ軍は知念半島を分断します。 5月末に首里から撤退した日本軍。アメリカ軍に本島南部で最後の抵抗を続けます。しかし、65年前のきょう、アメリ…
6月に入り、南部は軍と住民が入り乱れて混乱する中、アメリカ軍は繰り返し「命を助けるビラ」をまいていました。 島袋文子さん「アメリカの飛行機からビラが落ちてくるわけ。日本は負けました、戦争は終わりました…
27日に首里を撤退した32軍司令部は、南風原の津嘉山を経て、5月30日に糸満市摩文仁にある新しい司令部壕に到着します。 アメリカ軍のバックナー中将は、沖縄守備軍が首里を放棄することはなく、必ず抵抗して…
沖縄戦で指揮の中枢部となった牛島満率いる第32軍。その司令部が置かれたのは、首里城の地下に掘られた巨大な壕でした。 アメリカ軍はその首里城を陥落させれば、沖縄での戦いは終わると思っていました。 シュガ…
「オキナワ1945・島は戦場だった」。物量的にも劣る沖縄守備軍が必死に守った首里司令部も、65年前の今日、本格的な南部撤退を始めました。 22日に首里からの撤退を決めた沖縄守備軍ですが、牛島司令官ら主…
65年前のきょう司令部のあった首里は崩壊寸前となり住民は南部へと避難します。いよいよ首里決戦は時間の問題となった5月22日。日本軍は首里の司令部を放棄し南部撤退を決定。軍は首里周辺の非戦闘員の島尻への…
エンディングはオキナワ1945島は戦場だった。首里の攻防を制したアメリカ軍はさらに本島を南下。当時の島田県知事や荒井警察部長は首里の司令部壕から南部に撤退します。 1フィート映像「沖縄の戦場は、多くの…
65年前の今日、今の読谷飛行場と嘉手納飛行場のアメリカ軍機を目指して「義烈空挺隊」130人が突っ込んできました。 現在、読谷村役場がある場所はかつての「北飛行場」、日本軍が県民を動員して建設したもので…
エンディングはオキナワ1945島は戦場だった。新聞配達の少年に話しかけていたのはのちに摩文仁で自決する事になるあの軍人でした。 翁長良義さん。当時13歳だった翁長少年は毎朝、首里で新聞配達をしていまし…
65年前の5月中旬、アメリカ軍が首里に迫る中、なくなく南部に移動させられた松茂良美智子さん。戦争の混乱でもお金に貪欲の人たちに苦しめられます。 那覇の壕を追い出され、およそ2時間かけてここ糸満市与座岳…