65年前のきょう午前8時15分、アメリカ軍は人類史上初の核兵器・原爆を広島に投下します。 65年前のきょう「戦争を早く終結させ兵士たちの命を守る」という名目のもとアメリカ軍がとった選択「原子爆弾」。 …
7月から発行をはじめた戦後初の新聞「うるま新報」。しかし、新聞はアメリカ軍政府の支配下でのスタートでした。 戦後初の沖縄の新聞として7月25日に創刊された「うるま新報」。アメリカ軍政府の機関紙と位置づ…
沖縄戦が始まってすぐにアメリカ軍の収容所が置かれた石川市。8月には今の県立博物館の前身「沖縄陳列館」が開館しました。 うるま市石川にあるこの古い建物は、戦後アメリカ軍によって作られた東恩名博物館の跡で…
アメリカ軍は日本の軍国主義などの思想を排除するため、子どもたち向けの沖縄独自の教科書を作る編集所を軍政本部内に設置します。 沖縄戦のさなか、すでに中北部にはアメリカ軍が収容所内に学校を開設。学校には子…
65年前のきょう、収容所のあった石川に初めて高校が誕生しました。 うるま市の城前小学校に建つ教育発祥の地の碑。この場所で65年前のきょう、石川高校の開校式が行われました。 伊波秀雄さん「終戦直後ですか…
65年前のきょう、神風特攻隊の最後の攻撃を受けたアメリカ軍の艦船が沈没しました。 1945年の6月下旬、台湾の虎尾基地で編成された第三龍虎隊。九三中練と呼ばれた小さな練習機に可能な限りの爆弾を積んで、…
65年前の今頃、大宜味村では避難のために山奥で生活していた人たちが動き出しました。 大宜味村の山奥に隠れ住んでいた平良さんら住民は餓死から逃れるため山を降りる決心をします。それを止めようとしたのは日本…
65年前、日本への無条件降伏を求めた「ポツダム宣言」を拒否したこの日、沖縄では沖縄守備隊の作戦参謀・八原高級参謀の尋問が始まりました。 知念村屋比久の収容所で7月15日、身分がばれ、逮捕された「八原高…
65年前の7月、捕虜になった人々が収容所で混乱した日々を送っていたころ、アメリカ本国ではある計画が進行していました。 1945年4月。沖縄に上陸したアメリカ軍が侵攻を続けていたころ、第33代アメリカ大…
65年前の今日、宜野座村に初等学校が誕生。しかし多くの人々が集まっていた村内では、子どもたち全員が通えたわけではありませんでした。 県から南部地域住民の疎開地に指定されていた宜野座村。4月以降は捕虜に…
65年前のきょう、玉城村百名で小学校が開校。その目的は、子どもたちの命を守ることでした。 南城市玉城百名の百名初等学校跡地。百名には収容所が置かれ、避難民が続々と集まっていました。食料の乏しい収容所で…
県内各地に設けられた収容所。そのひとつ、知念村屋比久の収容所で65年前の7月15日、一人の日本兵が逮捕されました。 八原高級参謀長。 32軍司令部で牛島司令官、長参謀長と共に沖縄戦の戦略を練ってきた人…
沖縄戦記録フィルム「1フィート運動の会」の代表を勤める福地曠昭さんの著書「村と戦争」です。 『6月23日に沖縄戦は終わったといわれるが沖縄の‘終戦゛は各個人によって違いがある』『喜如嘉でも7月中旬まで…
65年前のこの頃、親や兄弟と離ればなれになった孤児たちがピークに達していました。 傷の手当を受ける子、カメラを寂しそうに見つめる子どもたち。 65年前のこの頃、沖縄戦で親を亡くした乳児から20歳未満の…
福元藤吉さん「残っている兵隊、壕に入っている兵隊が、時々、攻撃したりしているんです。それも8月、9月までやっているみたいでした」 糸満市米須の福元藤吉さんは当時10歳。激戦地の南部で家族とともに捕虜に…