9月に再開された郵便事業、65年前のきょう、久米島ではいち早く切手の使用が始まりました。 9月4日、石川の沖縄諮詢会がアメリカ軍から引継いで再開した郵便事業、沖縄本島では翌年7月まで郵便物は無料で配布…
鉄血勤皇隊員として沖縄戦に参加した当時17歳の神谷依信さん、糸満の摩文仁でアメリカ軍の捕虜となり、船でハワイへと送られました。 神谷依信さん「1500隻の軍艦で真っ黒になっていた。海の色が見えないくら…
沖縄を占領統治していたアメリカ軍政府は戦後復興の一環として芸能を奨励し、収容所では様々な踊りや音楽が披露されました。 金武町屋嘉に設置された捕虜収容所です。収容所ではアメリカ軍の管理の下、芸能に使う舞…
9月下旬、石垣島は無政府状態に置かれ、人々の心は荒れ果てていました。 八重山諸島の守備軍だった八重山旅団本部は停戦の詔書を受け、現地で徴集した地元の青年兵の招集を解除。その後、日本兵の招集も解除されま…
沖縄を占領統治していたアメリカ軍政府は、戦後初の市議会議員選挙と市長選挙を実施。本土に先駆けて沖縄の女性が参政権を得ました。 1945年9月、沖縄の16の市町村で戦後初の議会議員選挙と市長選挙が実施さ…
鉄血勤皇隊の一員だった元沖縄県知事の大田昌秀さんが投降したのは65年前のこのころでした。当時の出来事が、大田さんのその後の人生に大きな影響を与えました。 沖縄師範学校本科2年生だった大田昌秀さんは学徒…
南部で母を亡くし父親と生き別れた少年は収容所で軍作業に従事していました。 玉那覇盛章さんは南部の激戦地を逃げ惑った末、海岸にいるところを捕虜として連行されました。父とは別々の収容所に連行され、民間人だ…
65年前のきょう、沖縄からアメリカ陸軍が撤退を開始。軍政統治の権限を海軍に移行させるためでした。 9月2日にアメリカ軍は、それまで陸軍が担っていた軍政統治作戦を海軍に移行する命令を出します。「アメリカ…
戦争で多くの人が家を失いましたが、その住宅不足を解消しようと考案された仮設住宅が次々と建設されました。 戦争ですべてを焼かれた住民たちは収容所に集められ、窮屈なテント生活を送っていました。 そんな状況…
沖縄戦が終り島中がまだ混乱に包まれていた頃、沖縄本島に巨大な台風が近づいていました。日本を縦断した台風の経路図。1945年9月13日頃に発生した台風16号。のちに枕崎台風の名で昭和三大台風の一つに上げ…
65年前のきょう、糸満市米須の徳元孝助さんは宜野湾市野嵩の捕虜収容所にいました。 アメリカ軍が進攻した本島南部。米須の徳元さんは、ひめゆりの塔の下にある壕に家族と避難。しかし、日本軍に追い出され、近く…
住民や学生まで動員された沖縄戦。国民以外でも、朝鮮半島から強制的に連行された多くの人々がいました。 捕虜となり、学徒隊と写真に納まる、ひと際大きな体をした「朝鮮人軍夫」。当時、日本の植民地だった朝鮮か…
65年前のきょう、日本の降伏調印に伴い、南西諸島の日本軍も降伏文書に調印。正式に沖縄戦が終結しました。 旧越来村、現在の嘉手納基地内で行われた降伏調印式には第32軍司令官・牛島満中将が自決したため、守…
65年前のきょう、新聞が住民待望の郵便の復活を伝えました。 当時の1通の手紙。残っているのはこの封筒のコピーだけです。終戦直後、貨幣経済は崩壊していたため、郵便は無料で、切手は貼られていません。戦禍で…
65年前のきょう、本島北部でまだ戦闘を続けていた日本軍の部隊が投降します。 1944年7月に長崎の佐世保で編成された第27魚雷艇隊。編成後、魚雷艇は次々と沖縄本島北部の運天港に造られた基地に移送されま…