65年前のきょう、大宜味村の喜如嘉では戦意高揚のため村主催の葬儀が行われました。 平良真平さん(80歳)。13歳の時に大宜味村の喜如嘉小から旧制県立二中へ進学。親元を離れて下宿生活がはじまったのは19…
アメリカ軍の上陸が迫る中、決死の覚悟で沖縄の地を踏んだ若き県知事です。 65年前のきょう、新聞紙面を大きく飾ったのが新しい県知事島田叡の着任を伝える記事でした。前の年の空襲で壊滅的な被害を受けた県都・…
65年前のきょう、本部町八重岳に設営された野戦病院では、負傷者の看護を命ぜられた女学生らの看護実習が始まりました。 1月、本部半島での戦闘に備えるため、沖縄陸軍病院名護分院は八重岳の西側の野戦病院に移…
戦意喪失を狙ってアメリカ軍が撒いたビラ。65年前のきょうの新聞では敵の謀略にだまされないよう呼びかけています。 先の大戦で心理作戦のひとつとして多く活用されたのが宣伝ビラ。アメリカの軍事力を強調し、日…
65年前のきょう、第32軍沖縄守備軍は、兵力配置の変更を開始します。 第32軍沖縄守備軍は、本島各地に配置されていた全ての兵力を首里を中心とした南部地域に移動。これまで重要施設として整備を続けてきた北…
65年前のきょう、石垣島白保に建設された白保飛行場が空爆され、破壊されました。 沖縄本島を攻略するアメリカ軍のアイスバーグ作戦を前に、年明けから、石垣島や西表島、与那国島など八重山諸島のすべての島々で…
65年前のきょう、安里にあった一高女と女子師範の校舎が爆撃で崩壊しました。 宮良さん「地下に、生徒たちの大事なものを荷物などをそこに入れろと言われて、そこに入れてあった。それがやられたんです」 1月2…
65年前のきょうアメリカ軍は、前の年の10・10空襲以来の大規模の空襲を沖縄本島に加えます。当時の新聞には艦載機20機が本島南部に侵入、飛行場や集落を狙って空襲を加えたとあります。 そして日本軍はこの…
年明けから始まったアメリカ軍の八重山への空襲は、1月19日から昼夜を問わず本格的な爆撃へと突入しました。 日本軍にとって石垣島は、沖縄本島から台湾に連なる生命線であり、分断を避けるため、2つの飛行場を…
65年前のきょうは軍部と内閣が会議を開き、本土決戦に備え沖縄にアメリカ軍が上陸した場合は、徹底的抗戦することが決められた日です。 最高戦争指導会議は、首相と外務大臣、陸海軍各大臣と陸軍、現場トップの参…
65年前のきょう、小磯国昭内閣は沖縄戦を想定し、女性や子どもなどを本島北部に疎開させることを閣議決定します。 陸軍大将・小磯国昭は1944年7月に第41代の首相に任命され、政策・軍事面で行き詰っていた…
1945年1月14日、沖縄県は八重山支庁にマラリア防止策の係を設置しました。 八重山におけるマラリア有病地帯の調査は戦前から行われていて、石垣島や西表島の山岳地帯はマラリアの巣窟だとの調査結果が出てい…
65年前のきょう、米軍の上陸が間近に迫る沖縄の県知事となるよう辞令を受け、死を覚悟して、沖縄行きを決意した男性がいました。 糸満市摩文仁にある「島守の塔」。沖縄戦で亡くなった県職員などおよそ500人の…
空襲が激しくなり県民が地上戦を意識し始めたころ、食糧の増産も本格化しました。 1945年の年頭、沖縄県は農作物の「総合生産計画」を発表。中でも力を入れたのは、主食だったイモの増産でした。 自然が相手で…
1945年1月、日本軍は「空襲警報発令時の警戒対策」を各地に通達します。 旧玉城村奥武島は1月22日に大規模な空襲に見舞われました。この直前、6日に日本軍から警報時の警戒対策が通達されました。 「道路…