1974年3月。終戦を知らずに29年間闘い続けた兵士がフィリピンで発見されました。日本の敗戦を信じなかった小野田少尉は「陸軍中野学校」の出身。「陸軍中野学校」とは、エリート青年にスパイやゲリラ戦を教え…
65年前のきょう4月6日。日本軍の特攻作戦「菊水作戦」が実行されました。若い命を乗せた特攻機が沖縄へ飛び立ったのです。 その日、大宜味村喜如嘉の人たちが見たのは炎上する軍艦、高い波しぶきでした。そして…
戦場に学徒動員された少年たちは死を覚悟し、遺書を書いていました。 終戦から4年後、豊見城の壕から発見された遺書や遺髪。これらは65年前の4月上旬、鉄血勤皇隊として動員された県立第一中学校の生徒たちが書…
沖縄本島の総攻撃が始まって2日目のきょう、与那国島の国民学校では入学式が行われました。 与那国島を襲う激しい空襲。与那国国民学校は1945年2月以降、授業ができなくなっていました。しかし4月2日、国民…
去年11月にうるま市で発生した中学生たちによる集団暴行事件を覚えているでしょうか?あれから4ヶ月が経ち、学校では新学期が始まっているのに、事件の背景がはっきりわかっておらず、遺族の苦しい日々が続いてい…
65年前の4月1日はアメリカ軍上陸の日。その上陸の地となった読谷村渡具知から中継でお伝えします。 65年前のきょう4月1日。読谷村渡具知の海岸はアメリカ軍の船で埋め尽くされました。ここから沖縄本島の地…
これまで嘉手納基地の中で行われてきた航空機の管制業務がきょう午前0時に日本側に移されました。戦後65年目にして「空の主権」がようやく日本側に戻ってきた訳ですが民間機の運航には、具体的にはどんな影響があ…
Qリポートです。先週末、県内では映画祭、音楽祭と2つの大きなイベントがクライマックスを迎えました。観光客の集客も期待されたそれぞれのイベントの成功性はどうだったのか?また今後どうなるのか、まとめました…
65年前、首里高等女学校の卒業式は艦砲射撃の中行われました。 宮城さん「今だったら校歌を歌うけどあの時は『海行かば』、軍歌」 県立首里高等女学校、ずいせん学徒隊として学徒動員された4年生61人。 生徒…
アメリカ軍の本島上陸が迫る中、戦場に駆り出された14歳の学徒が見た戦争の本質に迫ります。 アメリカ軍の上陸直前の3月27日、首里高校の前身、県立第一中学校では砲弾が飛び交う中、卒業式が行われました。敵…
65年前のきょう3月26日、アメリカ軍が慶良間諸島に上陸し、鉄の暴雨風と呼ばれた沖縄戦が始まりました。 1945年3月26日午前8時4分、阿嘉島沖を埋め尽くしたアメリカ軍の艦船から放出された水陸両用車…
65年前の今夜、石垣島では沖縄からの特攻隊第一陣の出撃を前に、小さな宴が催されていました。 65年前のあすアメリカ軍はついに慶良間諸島に上陸します。そして、同じ日、県内からとしては初の特攻隊が石垣島の…
3月6日から、東風平国民学校で看護教育をたたき込まれた仲里ハルさん。積徳高等女学校に通う16歳の少女でした。 2週間後、ハルさんたちは25人の仲間とともに、豊見城城址にあった第二野戦病院に配属されまし…
経済成長が著しい中国から沖縄にリゾートウェディングを呼び込もうと、先週、中国からのカップルを対象にしたツアーがありました。実近記者です。 今月15日。中国の重慶からチャーター機で沖縄に到着したのは男女…
国は戦争一色となり、生徒の戦場動員は当然という雰囲気に包まれていました。 宮城喜久子さん「父は教師をしていて、いつも子どもたちに教育しているのは“戦場に行け”ということですよね、そのときの教師は。それ…