2003年に開業し、今年で7年を迎える沖縄都市モノレール。今、その経営が厳しい局面を迎えています。景気後退による観光客の減少なども指摘されていますが、それとともに、沖縄特有のある現象が新たな経営の脅威…
きょうの特集は、毎日エンディングでお伝えしている「オキナワ1945」の拡大版をお送りします。与那国出身の軍人、大舛松市(おおます まついち)大尉は1943年1月、ガダルカナル島で戦死。その年の10月に…
きのう2月14日は愛する人に想いを伝えるバレンタインデーでしたが、65年前のその日、久米島の儀間港は火の海となりました。 宮城幸信さん「どこからとも無く、入ってきて、また、出て行くものだから、どこへ行…
アメリカ軍の上陸が迫る中、本島中南部から国頭地区への疎開が本格的に始まります。 65年前のきょうの沖縄新報。そこには国頭地方への疎開者に対する食糧計画が確立されたという記事があります。 「特に疎開者に…
海が見えるホテルでのリゾートウェディング。これは浦添商業高校の生徒たちがブライダル実習の一環で実施したものです。司会を始め、配膳や花嫁介添え役など全てを高校生たちが手がけました。 長引く不況で、…
1945年、県食糧配給課では米や芋、野菜など従来の作物に頼っては自給体制は追いつかないとして、1月から2月にかけ代用食の研究を専門家に委嘱します。 当時の県立図書館長・城間朝教をはじめ、県農業試験場や…
65年前の2月、近づく戦争の足音に当時の行政は緊急態勢に入りました。 1945年2月、県はいよいよ行政体制を戦時体制へと移行しました。新聞にはその体制について、県政の中央の機能を各地方に分散させる機構…
今年1月から毎日番組の最後にオキナワ1945 島は戦場だったと題して65年まえのその日なにが起きたのかお伝えしていますが、短い時間ではお伝えできないものを特集でお送りします。今回は、65年前の2月6日…
65年前のきょう、久米島では日本軍に徴用されていた船が撃沈され、住民たちが必死の捜索に当たっていました。 軍需物資などを運ぶ徴用船として那覇と久米島を結んでいた嘉進丸は2月6日、久米島の真泊港を学生を…
65年前の今日、そしてこの時期は、新聞に2日と空けずに食糧確保を呼び掛ける記事が載せられます。 1945年2月5日の沖縄新報は「勝敗のカギは増産」「イモ類を大増産」の見出しで食糧生産を呼び掛けています…
喫茶店、と一口に言っても、マンガ喫茶やジャズ喫茶など様々なものがありますが、視聴者の皆さんは「出会い喫茶」という言葉をご存知でしょうか。去年、この出会い喫茶で知り合った男と女子生徒の間で、買春事件が発…
65年前、食糧不足が子ども達を苦しめました。 65年前のきょう新聞には当時の知事・島田叡の三大目標が大きく掲載されました。そのひとつが「食糧自給の達成」。食べ盛りの子ども達を苦しめたのがこの食糧不足で…
そしてきょうは、戦況が厳しくなる中、戦場に駆り出された少年たち、「鉄血勤皇隊」です。 首里の丘に静かにたたずむ、一中健児の塔。その敷地内にある一中学徒資料展示室には、15歳から17歳という若さで「鉄血…
きょうは現在、桜坂劇場で上映中の海兵隊の新兵の訓練をテーマにした映画の話題です。どこにでもいる若者が1人の兵士として作り上げられていくおよそ4カ月の過程。訓練を終えた若者たちが続々と送り込まれてくるキ…
65年前のきょう、大宜味村の喜如嘉では戦意高揚のため村主催の葬儀が行われました。 平良真平さん(80歳)。13歳の時に大宜味村の喜如嘉小から旧制県立二中へ進学。親元を離れて下宿生活がはじまったのは19…