占領したサイパンやグワムから日本本土を空襲し始めたアメリカ軍。より効率よく進めるため、次に狙ったのは、サイパンと東京のちょうど中間に位置する「硫黄島」でした。 65年前の2月19日、遂にアメリカ軍が硫…
Qリポートです。先日沖縄市で体に様々な障害を持つ人たちによるコンサートが開かれました。病と闘い向き合っている人たちの音楽に対する思いを取材しました。今月14日 沖縄市の音市場で開かれたコンサートには、…
戦時情勢が厳しくなる中、八重山では農林学校の生徒を中心に鉄血勤皇隊が編成され、軍事教練に駆り出されました。 1944年10月、国は「緊急学徒勤労動員方策要綱及び決戦非常時措置要綱」に基づく「学徒動員実…
鳩山政権は普天間基地の移設先について、今月中に政府案をまとめ、アメリカ政府や地元自治体との交渉に入る方針を示していますが、政府内から伝わってくるのは「県内移設」を前提とした案ばかりです 一方、野党の自…
1945年3月から5月にかけ、県警や県庁職員が避難しつつ職務を遂行したのが那覇市の「県庁壕」でした。 那覇市の識名霊園近くの「シッポージヌガマ」を整備したこの壕は「県庁壕」と呼ばれています。 県民の県…
65年前、政府は学校の授業を1年間停止することを決定します。 主要都市の殆どがアメリカ軍の大空爆を受け緊迫する事態の中、政府は臨時閣議を開き「決戦教育措置要綱」を発表。国民学校初等科を除き、4月から1…
きょうは楽しみましょう「かんぱーい」先月、学童の引越しに児童と保護者と指導員全員でお祝いをした浦添市の宮城学童。小学校の敷地内に建てられた児童館の2部屋に2つの学童が入ることができました。以前は学校か…
住民、学徒総出で決戦の日に備えていた沖縄。しかし、日本軍の戦況は悪くなるばかりで、沖縄守備隊も部隊配属の変更など、戦いの前から苦しい状況となります。 ごつごつとした石灰岩の岸壁。そこには自然に出来た窪…
「1945島は戦場だった」きょうは拡大版リポートです。65年前の3月10日東京を襲った大空襲の被災者の一人が、今、いけばなという生きがいを見出し沖縄で力強く生きています。生け花を通して国内外の人々と交…
65年前の今日は積徳高等女学校の生徒たちが南部に入って看護実習を始めて三日目。二度と泣かないと誓約書を書かされた少女もいました。 仲里ハルさん「君らは軍服こそつけていないが初年兵だということで、ものす…
Qリポートは、ドクターヘリリポートの第9弾です。去年、募金など多くの人の支援で運航を再開させた北部の民間ドクターヘリ「MESH(メッシュ)」ですが財源を民間に頼るがゆえに、厳しい状況に変わりはありませ…
3月上旬、県内の女子学生たちにいよいよ動員命令がくだります。 65年前の3月6日。この日、県内の女学校4校に動員命令が下りました。このうち、積徳高女とともに看護教育のために24師団野戦病院に動員された…
65年前の3月6日に公布された「国民勤労動員令」。「兵隊以外の国民も労働力を提供せよ」というものでした。 議会の審議もなく勅令として公布された「国民勤労動員令」は、それまでの「国民徴用令」など労務提供…
去年7月の近畿まほろば総体。美ら島沖縄総体にむけて視察に訪れていた美咲特別支援学校の武内望先生。全国初の挑戦に向け、その表情は引き締まっていました。 武内先生「やればできるっていうのを障害を持っている…
空襲が激しくなる中、八重山の高等女学校の生徒たちに看護術教育が実施されました。 日本軍はアメリカ軍の進攻を阻止するため、旅団を置いた石垣島で徹底抗戦の作戦に出ました。しかし、空襲は日増しに激化。このた…