沖縄戦で指揮の中枢部となった牛島満率いる第32軍。その司令部が置かれたのは、首里城の地下に掘られた巨大な壕でした。 アメリカ軍はその首里城を陥落させれば、沖縄での戦いは終わると思っていました。 シュガ…
「オキナワ1945・島は戦場だった」。物量的にも劣る沖縄守備軍が必死に守った首里司令部も、65年前の今日、本格的な南部撤退を始めました。 22日に首里からの撤退を決めた沖縄守備軍ですが、牛島司令官ら主…
65年前のきょう司令部のあった首里は崩壊寸前となり住民は南部へと避難します。いよいよ首里決戦は時間の問題となった5月22日。日本軍は首里の司令部を放棄し南部撤退を決定。軍は首里周辺の非戦闘員の島尻への…
美ら島総体の総合開会式でダンスに挑戦する美咲特別支援学校の取り組みを以前も紹介しましたが、その練習はゆっくりとそして着実に進んでいます。一緒に踊る他の学校の生徒にも変化が見えてきました。 3月、美ら島…
エンディングはオキナワ1945島は戦場だった。首里の攻防を制したアメリカ軍はさらに本島を南下。当時の島田県知事や荒井警察部長は首里の司令部壕から南部に撤退します。 1フィート映像「沖縄の戦場は、多くの…
Qリポートです。去年の衆院選で普天間基地の国外、県外移設を掲げて政権交代を果たした民主党。沖縄からも2人の新人が国政に進出しました。 しかしそのトップである鳩山総理大臣が辺野古に基地を造ると名言。沖縄…
65年前の今日、今の読谷飛行場と嘉手納飛行場のアメリカ軍機を目指して「義烈空挺隊」130人が突っ込んできました。 現在、読谷村役場がある場所はかつての「北飛行場」、日本軍が県民を動員して建設したもので…
「胎内記憶」という言葉をご存知でしょうか?赤ちゃんのお腹の中の記憶のことですが、その研究を第一線で続けている医師が先週沖縄にやってきました。「胎内記憶」で幸せな子育てとは? 「お腹の中にいたら包丁が入…
エンディングはオキナワ1945島は戦場だった。新聞配達の少年に話しかけていたのはのちに摩文仁で自決する事になるあの軍人でした。 翁長良義さん。当時13歳だった翁長少年は毎朝、首里で新聞配達をしていまし…
エンディングは「オキナワ1945」島は戦場だった。首里の日本軍司令部の近く、通称「フラットトップ」と呼ばれた丘が65年前のきょう、アメリカ軍によって占領されました。 那覇市首里石嶺町にある小高い丘。頂…
65年前の5月中旬、アメリカ軍が首里に迫る中、なくなく南部に移動させられた松茂良美智子さん。戦争の混乱でもお金に貪欲の人たちに苦しめられます。 那覇の壕を追い出され、およそ2時間かけてここ糸満市与座岳…
首里の防衛に死力を尽くす第32軍ですが、アメリカ軍は泊高橋方面から那覇に進入します。 那覇市に突入するアメリカ軍の様子を捉えた写真、左に見える建物は泊国民学校です。 65年前のきょう、アメリカ軍は泊高…
アメリカ軍の本島上陸から1ヶ月半が経過。本島北部では食糧不足が人々の命を奪っていました。 65年前のきょう5月17日、アメリカ軍の第6海兵師団は現在の那覇新都心、シュガーローフを占領するため、激しく日…
アメリカ軍は那覇市の首里で猛攻撃を加え、迎え撃つ沖縄守備軍を力で圧倒します。 「愉快です!敵艦に体当たり!」65年前のきょうの新聞には日本兵が乗りこむ神風特攻機を女子挺身隊が整備する写真が掲載され、本…
1968年に沖縄で初めての公選主席に選ばれ、1972年に沖縄の本土復帰を果たした屋良朝苗さん。屋良さんのそばには、常に大城盛三さんの姿がありました。 大城さんは、屋良さんの主席当選の翌12月、屋良主席…