特集は島は戦場だったです。男子学生と同じ教育を受け負傷兵の看護にあたったなごらん学徒隊。65年前の4月、北部が壊滅状態にある中彼女たちが戦場で目の当たりにしたものとは。 なごらん学徒隊、富原信子さんの…
4月1日に本島へ上陸し、南下したアメリカ軍ですが、首里の司令部に近づくにつれ、沖縄守備軍の抵抗が激しくなり、大謝名、我如古、和宇慶ラインで停滞。そのため、アメリカ軍は、兵力・兵器を補給し、陸・海・空か…
きょうは旧暦の3月3日浜下り。普天間基地の移設先として取りざたされているうるま市の勝連沖では反対派の市民グループが自然観察会を企画しました。 浜下りを企画したのは、うるま市民協議会の伊波義安さんです。…
4月15日、石垣島で墜落機から脱出したアメリカ兵の捕虜3人が殺害されました。戦後、日本軍司令官らが処刑されることになった「石垣島事件」です。 アメリカ軍は石垣島にある飛行場を撃破するため、グラマンなど…
ここに1冊の記念誌があります。1945年に喜如嘉国民学校を卒業した生徒たちが発刊したものです。「20会」という名前は沖縄戦の年、昭和20年に卒業したことから名付けられました。記念誌に盛り込まれた年表か…
65年前のきょう、アメリカ軍は辺戸岬を攻略。しかし迎え撃つ32軍は総攻撃に失敗します。 4月1日に無血上陸をはたしたアメリカ軍は、その日のうちに北飛行場と中飛行場を占拠。その後、本島を縦断し、8日には…
県立図書館八重山分館の存続を求める会 大田静男代表「図書館とはやはり私たちの知る権利とか学習する権利とか、そういうところの一番根幹のところですから、やはりそういうところは、図書館というのは潰してはなら…
沖縄各地で戦闘が激しさを増す中、与那国では宇良部岳の監視台が空爆を受けました。 地元では「与那国富士」と親しまれている宇良部岳には頂上付近に日本軍の監視台が設置され、アメリカ軍・イギリス軍の戦艦や戦闘…
65年前のきょう、わずかな希望を胸に壕の中で厳しい生活を送っていた人がいました。 松茂良美智子さん「ただ怖いからここに入って、怪我しないようにということだけしか考えなかった」 当時13歳の松茂良美智子…
県内高校球児の聖地とも言われた奥武山野球場が今月3日「沖縄セルラースタジアム那覇」として新しくオープンしました。生まれ変わったスタジアムの様子を取材しました。 先週3日、那覇市民、そして沖縄県民が待ち…
慶良間諸島・渡嘉敷島の南、水深45メートルの深い海底に横たわる大きな船体があります。 直径2メートル以上もある大きな二つのスクリュー。アメリカ海軍の記録と照合すると、この船はアメリカ軍の戦車揚陸艦LS…
1974年3月。終戦を知らずに29年間闘い続けた兵士がフィリピンで発見されました。日本の敗戦を信じなかった小野田少尉は「陸軍中野学校」の出身。「陸軍中野学校」とは、エリート青年にスパイやゲリラ戦を教え…
65年前のきょう4月6日。日本軍の特攻作戦「菊水作戦」が実行されました。若い命を乗せた特攻機が沖縄へ飛び立ったのです。 その日、大宜味村喜如嘉の人たちが見たのは炎上する軍艦、高い波しぶきでした。そして…
戦場に学徒動員された少年たちは死を覚悟し、遺書を書いていました。 終戦から4年後、豊見城の壕から発見された遺書や遺髪。これらは65年前の4月上旬、鉄血勤皇隊として動員された県立第一中学校の生徒たちが書…
沖縄本島の総攻撃が始まって2日目のきょう、与那国島の国民学校では入学式が行われました。 与那国島を襲う激しい空襲。与那国国民学校は1945年2月以降、授業ができなくなっていました。しかし4月2日、国民…