アメリカ軍は既に摩文仁岳にあった日本軍司令部壕まで前進していました。 アメリカ陸軍総司令官のサイモン・バックナー中将はこの時、日本軍の終わりを見ていました。 この日、降伏勧告状がやっと牛島中将のもとに…
住民を巻き込んだ南部での戦いが悲惨さを増しながら激しくなる中、本土決戦に備え整備計画が日本本土で決定します。 6月16日、糸満市に与座岳がアメリカ軍によって攻略。追い詰められる日本軍と住民達はさらに南…
6月中旬、糸満の壕にいた少女を爆撃が襲います。那覇市の翁長安子さんは、看護要員として首里の住職が隊長の永岡隊と行動をともにしていました。 糸満の糸洲の壕では戦車砲や火炎放射に襲われ、命からがら逃れます…
来月行われる参議院選挙に向けて各政党の動きが非常に慌ただしくなっています。政党間の激しい駆け引きと難航した候補者選びについて岸本記者のリポートです。 先月、共産党の沖縄県委員会を訪れた社民党県連の新里…
現在の豊見城市にある旧海軍司令部壕。アメリカ軍に包囲され、すでに孤立していた司令部の大田實司令官は1945年6月13日午前1時頃、この司令官室でけん銃自決を遂げました。 13日、40回目を迎えた慰霊祭…
日本軍の後を追い、わずか1週間ほどの間に南風原、大里、豊見城、東風平、玉城を次々と突破し、南下を続けるアメリカ軍は、糸満から八重瀬岳を経て、具志頭へと至る線上まで迫り、包囲網を狭めます。 一方、アメリ…
65年の前のきょう第32軍牛島満司令官のもとにある書簡が届きました。それは、アメリカ軍沖縄占領軍部の総司令官バックナー中将からでした。 『閣下の率いる軍隊は、勇敢に戦い善戦しました—。従いまして本官が…
65年前のきょう、首里の住職が率いる永岡隊は、糸満で再び合流し、生きていることを喜び合いますがそれもつかの間でした。 首里の安国寺の住職・永岡敬淳が率いる「永岡隊」。沖縄県人で編成された永岡隊は、第3…
南への進撃を続けるアメリカ軍はこの日、ついに糸満の照屋付近まで到達します。 65年前のきょう撮影された写真。現在の那覇空港の場所にあった小禄飛行場を制圧したアメリカ軍は、南部への進撃を確実に強化してい…
本島を南北に分断して侵攻を続けるアメリカ軍は金武町を完全に制圧。海軍を率いる当時の大田実少将は一週間後の自決を前に、訣別の電報を打ちます。 金武掃討作戦と呼ばれた戦闘に参加するアメリカ兵達。連日、たく…
高額なお金を支払って買った壕の中で最愛の親族を失った住民がいました。 与座岳のふもとにある第二与座壕。250円を支払ってこの壕に入った松茂良美智子さん一家にも、日々、悪化していく戦況が手に取るようにわ…
沖縄本島南部への進撃を進めるアメリカ軍、65年前のきょうアメリカ軍は知念半島を分断します。 5月末に首里から撤退した日本軍。アメリカ軍に本島南部で最後の抵抗を続けます。しかし、65年前のきょう、アメリ…
6月2日、空襲が激しくなった八重山では、山岳地への住民避難が始まりました。台湾へ疎開せずに石垣島に残った住民は5月までは空襲があっても自分の家で生活をしていましたが5月末からはアメリカ軍の攻撃が激しさ…
6月に入り、南部は軍と住民が入り乱れて混乱する中、アメリカ軍は繰り返し「命を助けるビラ」をまいていました。 島袋文子さん「アメリカの飛行機からビラが落ちてくるわけ。日本は負けました、戦争は終わりました…
27日に首里を撤退した32軍司令部は、南風原の津嘉山を経て、5月30日に糸満市摩文仁にある新しい司令部壕に到着します。 アメリカ軍のバックナー中将は、沖縄守備軍が首里を放棄することはなく、必ず抵抗して…