エンディングはオキナワ1945島は戦場だった。首里の攻防を制したアメリカ軍はさらに本島を南下。当時の島田県知事や荒井警察部長は首里の司令部壕から南部に撤退します。 1フィート映像「沖縄の戦場は、多くの…
Qリポートです。去年の衆院選で普天間基地の国外、県外移設を掲げて政権交代を果たした民主党。沖縄からも2人の新人が国政に進出しました。 しかしそのトップである鳩山総理大臣が辺野古に基地を造ると名言。沖縄…
65年前の今日、今の読谷飛行場と嘉手納飛行場のアメリカ軍機を目指して「義烈空挺隊」130人が突っ込んできました。 現在、読谷村役場がある場所はかつての「北飛行場」、日本軍が県民を動員して建設したもので…
「胎内記憶」という言葉をご存知でしょうか?赤ちゃんのお腹の中の記憶のことですが、その研究を第一線で続けている医師が先週沖縄にやってきました。「胎内記憶」で幸せな子育てとは? 「お腹の中にいたら包丁が入…
エンディングはオキナワ1945島は戦場だった。新聞配達の少年に話しかけていたのはのちに摩文仁で自決する事になるあの軍人でした。 翁長良義さん。当時13歳だった翁長少年は毎朝、首里で新聞配達をしていまし…
エンディングは「オキナワ1945」島は戦場だった。首里の日本軍司令部の近く、通称「フラットトップ」と呼ばれた丘が65年前のきょう、アメリカ軍によって占領されました。 那覇市首里石嶺町にある小高い丘。頂…
65年前の5月中旬、アメリカ軍が首里に迫る中、なくなく南部に移動させられた松茂良美智子さん。戦争の混乱でもお金に貪欲の人たちに苦しめられます。 那覇の壕を追い出され、およそ2時間かけてここ糸満市与座岳…
首里の防衛に死力を尽くす第32軍ですが、アメリカ軍は泊高橋方面から那覇に進入します。 那覇市に突入するアメリカ軍の様子を捉えた写真、左に見える建物は泊国民学校です。 65年前のきょう、アメリカ軍は泊高…
アメリカ軍の本島上陸から1ヶ月半が経過。本島北部では食糧不足が人々の命を奪っていました。 65年前のきょう5月17日、アメリカ軍の第6海兵師団は現在の那覇新都心、シュガーローフを占領するため、激しく日…
アメリカ軍は那覇市の首里で猛攻撃を加え、迎え撃つ沖縄守備軍を力で圧倒します。 「愉快です!敵艦に体当たり!」65年前のきょうの新聞には日本兵が乗りこむ神風特攻機を女子挺身隊が整備する写真が掲載され、本…
1968年に沖縄で初めての公選主席に選ばれ、1972年に沖縄の本土復帰を果たした屋良朝苗さん。屋良さんのそばには、常に大城盛三さんの姿がありました。 大城さんは、屋良さんの主席当選の翌12月、屋良主席…
アメリカ軍が首里の司令部に迫る65年前のきょう、那覇市繁多川の防空壕を追い出され、なくなく南部へ移動する住民がいました。 アメリカ軍が上陸する前から、那覇市繁多川にある石田の壕に避難していた松茂良美智…
「オキナワ1945〜島は戦場だった」拡大版です。65年前のきょう、沖縄戦最大の激戦と言われた戦闘が始まります。わずか7日間の間で約5000人以上が死んだとも言われる戦いは那覇で繰り広げられました。地獄…
65年前の今頃、山に避難していた名護市辺野古の住民らはほぼ全員山を下りて、早くも学校も復活していました。 初枝さん「私たちは食べ物もいっぱいあったし別に、苦しいというあれはなかったけど」 沖縄本島でも…
65年前の今日、アメリカ軍が撮影したフィルムには戦場で傷つき、肉親を失った孤児たちの姿が映し出されていました。 5月10日の日付のあるこのフィルムには戦場に置き去りにされ、アメリカ軍が救いだした男の子…