きょうから今月30日までは「結核予防週間」です。結核は過去の病気だと思われがちですが、いまだ全国で年間2万人あまりが感染者として報告されています。そこできょうは実際に結核を患う患者への取材を通して、こ…
鉄血勤皇隊の一員だった元沖縄県知事の大田昌秀さんが投降したのは65年前のこのころでした。当時の出来事が、大田さんのその後の人生に大きな影響を与えました。 沖縄師範学校本科2年生だった大田昌秀さんは学徒…
戦争で殆どの家屋が破壊された沖縄では住宅の確保は食料と同じように深刻な問題でした。 上空から見た終戦直後の石川市です(現在のうるま市石川)戦災でほとんどの家は焼失していて集落の端に難民収容所のテント小…
EVをご存知ですか?電気自動車のことなんですが、まだ街中で見かけることは少ないですよね。このEVがレンタカーとして、年末県内に一挙に200台以上導入されるそうなんです。そこにはどのようなビジネスチャン…
南部で母を亡くし父親と生き別れた少年は収容所で軍作業に従事していました。 玉那覇盛章さんは南部の激戦地を逃げ惑った末、海岸にいるところを捕虜として連行されました。父とは別々の収容所に連行され、民間人だ…
那覇空港をハブとしてアジアや日本の主要都市を深夜、貨物専用機で結ぶ沖縄貨物ハブがスタートから来月で1年を迎えます。1周年を前に、県産品の販路拡大など新しい展開が始まっています。実近記者です。 仙波社長…
65年前。戦争当時15歳だった玉那覇さんの体験です。 玉那覇さん「目はね開かないんだけど息もね絶えてですね即死状態」 玉那覇盛章さん80歳。当時15歳の少年でした。65年前の6月。親子3人で南部を逃げ…
65年前のきょう、沖縄からアメリカ陸軍が撤退を開始。軍政統治の権限を海軍に移行させるためでした。 9月2日にアメリカ軍は、それまで陸軍が担っていた軍政統治作戦を海軍に移行する命令を出します。「アメリカ…
名護市源河。築100年になる風情あふれる家で一人で暮らす喜屋武達子さん(81)。とにかくおしゃれとおしゃべりが大好きなおばあちゃんです。 喜屋武達子さん「好きなの子どもの頃から。おばさんたちのクリーム…
戦争で多くの人が家を失いましたが、その住宅不足を解消しようと考案された仮設住宅が次々と建設されました。 戦争ですべてを焼かれた住民たちは収容所に集められ、窮屈なテント生活を送っていました。 そんな状況…
65年前の9月、沖縄市の前身となる「コザ市」が成立します。旧越来村、嘉間良を中心に越来・室川、安慶田の3部落にわたる広大な収容所はアメリカ軍によって「キャンプ・コザ」と呼ばれていました。 「コザ」の由…
沖縄戦が終り島中がまだ混乱に包まれていた頃、沖縄本島に巨大な台風が近づいていました。日本を縦断した台風の経路図。1945年9月13日頃に発生した台風16号。のちに枕崎台風の名で昭和三大台風の一つに上げ…
65年前のきょう、アメリカ軍政府と沖縄諮詢会は、組織的な地方行政を創設する必要から、「地方行政緊急措置要綱」を発令します。これによって難民収容所に市制が布かれることとなりました。 局地的な戦闘やアメリ…
12日、県内25の市町村で行われた統一地方選。なかでも、政府が普天間基地の移設先とさだめ全国的に注目をあつめた名護市議選では建設反対を主張する稲嶺市長支持派の議員が過半数を獲得。普天間基地移設問題はさ…
65年前のきょう、糸満市米須の徳元孝助さんは宜野湾市野嵩の捕虜収容所にいました。 アメリカ軍が進攻した本島南部。米須の徳元さんは、ひめゆりの塔の下にある壕に家族と避難。しかし、日本軍に追い出され、近く…