終戦から5日後、沖縄に初めて住民による行政組織・沖縄諮詢会が設立します 1945年8月、戦闘終結が近づくにつれ、アメリカ軍政府は「戦闘」状態から「駐留」の段階に移ります。 日本の無条件降伏が決定した8…
顔を抑える女性・・・首をロープに巻かれ倒れている人その人に必死にしがみつく子ども。これは65年前のきょう久米島で起きたむごたらしい事件です。 久米島住民虐殺を調査している上江洲盛元さん「首に紐をくくっ…
65年前のきょう、敗戦後の占領方法などを話し合う日本の「降伏使節団」を乗せた飛行機が伊江島飛行場に着陸しました。 国民が敗戦を知った15日から4日後。日本が降伏したあとの占領方法などについて、連合国側…
65年前のきょう,久米島では、また日本軍による住民の虐殺がありました。日本軍は、自分たちを守ってくれると思っていました? 喜友村さん「それは、片方ではあるしね,アメリカもほんとに何もしないのか それも…
開催中の美ら島総体は爽やかな感動だけではなく、非常に大きな経済効果を沖縄にもたらしました。美ら島総体・番外編、岸本記者の取材です。 先月28日に開幕し、選手だけで3万人、その家族や関係者も含めると10…
沖縄近海で多くの若い命が散った特攻作戦は日本の敗戦後、最後の犠牲者を出して終わりました。 海軍中将、宇垣纏。太平洋戦争開戦時は連合艦隊の参謀長で、沖縄戦では4月から展開された特攻作戦、菊水作戦を指揮し…
65年前のきのう、日本国民は玉音放送で敗戦を知ります。しかし、沖縄では殆どの住民が終戦を知りませんでした。 玉音放送「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び・・・」 65年前のきのう、ラジオを通じて、多く…
夏、沖縄の各村で見られる旗頭。高さおよそ8メートル、重さ50キロ。黒装束をまとった、はたもちが代わる代わる勇壮に揺らします。 村の綱引きの応援旗が起源といわれる旗頭。神が宿っているとされ、古くから村の…
65年前のきょうもアメリカ軍の掃討作戦が続けられた沖縄。当時のアメリカ軍の情報機関、G2による戦時記録にはこう記されています。 「8月13日、本島。日本兵28人を殺し、日本兵3人、朝鮮人軍夫2人を捕ら…
名護市が誕生してから40周年の記念式典。歴代の市長や議員たちが集まり、祝賀ムードに包まれた会場でしたが、その裏側では来月の市議会議員選挙を前に、早くも稲嶺市政与党と野党が激しい火花を散らしていました。…
沖縄本島では組織的な戦闘が終わって2ヶ月近く過ぎたこの頃、八重山諸島ではまだ戦闘に備えている学徒隊がいました。 八重山では1945年3月に県立八重山農学校、八重山中学校、八重山高等女学校の生徒達が学徒…
65年前の8月中旬、沖縄戦が終わったのを知らず、逃げ惑っていた少年兵たちがいました。 宮平盛彦さん「女の子なんかが、ところどころ潮だまりがあるでしょ、そこに浮いていたりして、本当に痛ましい状況でした」…
理系進学を目指す女子中高生を応援しようというイベントが開かれました。全国的に理系の学生が減少するなか「女子」にターゲットを絞ったのはなぜでしょうか? 理系女子と聞くと、皆さんは何をイメージしますか?街…
前日、長崎に新型爆弾・原子爆弾が投下され、日本は敗戦を覚悟します。この新しい虐殺兵器を知った沖縄に従軍していた一人のアメリカ兵士は嘆きの声をあげました。 8月8日、ソ連が日ソ中立条約を破棄し、日本に宣…
8日の日曜日に、北谷町で「北谷うーんな」と呼ばれる大綱引きがありました。「北谷うーんな」は12年に1度、寅年のときにだけ開かれるそうです。その伝統はどのように受け継がれていくのか、山城記者です。 北谷…