アメリカ軍の新型輸送機オスプレイを辺野古に造る新たな基地でも使用することについて、政府は日米間で協議していることを始めて明らかにしました。 さらに自衛隊も辺野古に常駐することを目指している事実が明らか…
65年前のきょう、日本の降伏調印に伴い、南西諸島の日本軍も降伏文書に調印。正式に沖縄戦が終結しました。 旧越来村、現在の嘉手納基地内で行われた降伏調印式には第32軍司令官・牛島満中将が自決したため、守…
きょうのQリポートは県内で活躍する「警察犬」について。現在、様々な事件の解決に欠かせない彼らですが、捜査の場で実力を発揮するようになったのはある事件がきっかけだったのです。山城記者です。 豊見城警察署…
65年前のきょう、新聞が住民待望の郵便の復活を伝えました。 当時の1通の手紙。残っているのはこの封筒のコピーだけです。終戦直後、貨幣経済は崩壊していたため、郵便は無料で、切手は貼られていません。戦禍で…
65年前のきょう、本島北部でまだ戦闘を続けていた日本軍の部隊が投降します。 1944年7月に長崎の佐世保で編成された第27魚雷艇隊。編成後、魚雷艇は次々と沖縄本島北部の運天港に造られた基地に移送されま…
県内では、あさって5日に多くの市町村議会議員選挙が告示されます。政権交代後初めての統一地方選挙に、気合を入れて臨む各政党。様々な作戦で勝負に挑んでいます。 南城市議会議員選挙の告示を前に開かれた総決起…
65年前のきょう、日本は連合国との「降伏文書」に署名し、正式に連合国に降伏しました。一方沖縄では、沖縄諮詢会を中心に独自の統治に動き出していました。 降伏文書への署名は、東京湾の海上、アメリカ軍の戦艦…
終戦とともに発足した沖縄住民による行政組織沖縄諮詢会では、この頃通信部を設置、郵便の取り扱いを開始します。 沖縄諮詢会では、アメリカ軍政府から業務を引き継ぎ、1945年9月から郵便の取り扱いを開始しま…
Qリポートです。11月の知事選までもう3カ月を切り、政党や後援会の動きが非常に慌ただしくなってきました。知事選に向けた保守・革新陣営の動きと第3極の候補者選びの状況を岸本記者が取材しました。 仲井真知…
沖縄戦では、20数万人の犠牲者が出ただけではなく凄まじい戦火によって数多くの歴史的建造物が破壊されました。65年前のきょうの糸満です。艦砲射撃や迫撃によって地上のあらゆるものは焼きつくされています。か…
8月下旬、アメリカのマッカーサー元帥が沖縄に到着。連合国の占領統治にむけ、マッカーサー自身が視察に訪れたのです。 8月下旬、アメリカ軍がすでに占領していた読谷飛行場にフィリピンのクラーク空軍基地から1…
海上を戦場としていた第22震洋隊は8月下旬、屋嘉収容所周辺で終戦を迎えることとなります。 8月下旬、終戦を知ったひとつの部隊が武装解除し、捕虜となります。第22震洋隊です 太平洋戦争末期、日本海軍が起…
八重山の人々を乗せた疎開船が7月に襲撃され尖閣に漂着した生存者は8月末まで苦難の日々を過ごしていました。 空襲が激しくなった6月末、疎開者を乗せた2隻の疎開船が、石垣島から台湾に向けて出航しました。7…
検証・動かぬ基地です。前原沖縄担当大臣が先週、名護市の島袋前市長と秘密裏に会談していたことが分かりました。現職の大臣が基地建設を容認する前の市長と密談、疑いの声も上がっています。 先週、前原沖縄担当大…
「通信隊」として戦場に駆り出された少年。日本兵のたった一言が彼の戦後を救いました。 慰霊碑に手を合わせるのは65年前、わずか14歳や15歳で戦場に動員された宮平盛彦さんと井口恭市さん。同じ部隊に所属し…