最近の映画など、映像作品で欠かせないのがコンピューターで処理加工された映像、いわゆるCG映像ですが、沖縄市にアジアでは世界規模のCGスタジオがあることをご存知でしたか?モーションキャプチャーと呼ばれる…
65年前のきょう、ひとりの警察官がアメリカ兵に射殺される事件が起きました。崎原恒喜さん(当時27)。玉城村の船越警察署に勤務していました。妻だった敏子さんはこう振り返ります。 敏子さん「頼りにされる人…
戦場だった65年前のこの頃、戦争で親を失い孤児院で生活していた少年が里親に引き取られました。 宮城定吉さん「おどおどして、大人の顔色うかがって生活していた。ずっと」 沖縄戦で親を失い、身寄りのなかった…
戦後、沖縄を占領したアメリカ軍のある将校が、終戦直後の沖縄の様子をカラーフィルムに残していました。 1945年、伊江島で微笑むアメリカ海軍、ニール・ローレンス少佐。海軍軍政府の経済部長として、沖縄の戦…
65年前、わずか18才で戦争に動員されたずいせん学徒。その記憶を、後輩に語り始めています。 仲西さん「もうほんとうは戦争の話しはやりたくないですよあの当時のことは」 沖縄戦当時首里高等女学校4年生だっ…
65年前のきょう、軍政府から警察学校の設置認可がおりました。沖縄諮詢会は、沖縄戦で解散した沖縄県警察を再構築するために保安部を創設。部長には戦前、那覇警察署の副署長を務めた仲村兼信が就任。戦前の警察幹…
10月頃から芸能関係者を石川収容所に集めたアメリカ軍は、この頃から本格的に芸能による戦後復興に力を注ぎ始めます。 うるま市立石川歴史民俗資料館に常設展示されている手作りの紅型。アメリカ軍から支給された…
戦争で貴重な人材を数多く失った沖縄。65年前のこの頃、戦後初の人材育成機関・沖縄文教学校の開校が報じられます。 11月下旬「ウルマ新報」に掲載された専門学校開設の記事。 「新生沖縄の建設途上全住民のた…
沖縄戦で家族や友人の命を失い、打ちひしがれた人々の心を慰めようと、石川収容所に笑いで“ともし火を”ともす人物がこの頃現れました。 小那覇全人さん「(父は)天性のユーモリストじゃなかったかなと思いますね…
多くの方からご協力いただいています「QAB美ら島募金」もことしで8年目。その感謝を込めて、座間味ダイビング協会が実施しているのが「サンゴ観察ツアー」です。 一時は慶良間諸島のサンゴを駆逐する勢いだった…
65年前のきょう、当時の中城村の人々は収容所から故郷へと戻ります。中城村の住民は戦中からアメリカ軍上陸の直後に村内の島袋収容所を中心に村外の収容所などに分散して収容されていました。 多くの住民の帰郷の…
戦争で多くの同僚を失った元県職員たち。慰霊碑建立の動きが次第に高まっていきました。 沖縄戦最後の激戦地・糸満市摩文仁にある島守の塔。65年前の今頃はまだ砲弾の跡が生々しく残り、多くの亡骸が横たわってい…
収容所から戻るときに家族の遺体を掘り起こすケースが多発したため、アメリカ軍は65年前の今日、密葬や洗骨の禁止令を出しました。 宜野座小学校の敷地にあったアメリカ軍の野戦病院。当時7歳で、左腕の骨が見え…
65年前のきょう、ようやく那覇にも住民が帰ってきました。先遣隊は壺屋焼きの職人たちでした。陶芸の町、那覇市壺屋。毎年11月には陶器まつりが開かれ地域の子どもたちから観光客まで、大勢の人たちで賑わいます…
あす告示され、17日間の選挙戦に突入する県知事選挙。仲井真知事と伊波前宜野湾市長の事実上の一騎打ちで、2人とも支持拡大の為に、もうすでにフル回転で県内を駆け回っています。 県民はどちらに県政のかじ取り…