終戦直後、日本軍の爆弾などが各地で海中に投棄されましたが、当時16歳の少年もその作業に携わっていました。 手登根恵貴さん「下崎という、この辺りの場所に弾はみんな落とされているわけです」 手登根さんは当…
県内のIT企業などが水中で会話出来る「可視光通信技術」を研究開発しています。「可視光通信」と言っても、ちょっと聞き慣れないですが、一体どんなものなんでしょうか。実近記者が取材しました。 今月8日に那覇…
65年前のこの時期、アメリカ軍からの食料配給が各地で滞ります。その対策に乗り出したのが住民と軍政府をつなぐ沖縄諮詢会でした。 アメリカ軍政府が民間人に食料の配給を始めたのは6月ごろから。しかし9月には…
県内の6つの大学が、コンビニエンスストアの商品を企画開発、その売り上げを競う「学Pリーグ」。商品の販売はいよいよ明日!3ヶ月にわたる学生の取り組みを取材しました。 学生「勝ちます!勝てますじゃなくて、…
65年前のこのころ、収容所では住民たちがアメリカ軍の作業をして生活物資を得る軍作業が始まりました。 本島上陸以降、アメリカ軍は沖縄守備軍と闘いながら、次々と住民を収容所へ送り込みました。琉球大学の川平…
10月には運動会シーズンですが、65年前のこの頃、早くも再開した学校で運動会の練習に励んでいた少年がいました。 那覇市に住む宮城定吉さん(77歳)。7人家族だった宮城さんは南部で家族5人を失い、戦後は…
10月に入って、石垣島の日本軍も武装解除され日本兵はふるさとへ帰還し八重山の住民も島に帰り始めました。 アメリカ軍は奄美、沖縄本島、宮古、八重山の4群島にいた日本軍の責任者を呼び、日本の全面降伏を記し…
今年7月に完全施行されて改正臓器移植法。脳死を人の死を法律で定め、15歳未満の子どもの臓器提供を認めたことなどで、臓器提供の対象が広がりました。これによって移植手術を希望する患者にとっては可能性が広が…
日本の勝利を信じて山奥に隠れていた女性が65年前この頃、人里へ降りてきました。 喜屋武達子さん「どんなことがあっても降参しない。勝つつもりなんですよね」 喜屋武達子さん(81歳)は、ひめゆり学徒隊の最…
「うちのおばあちゃんは転んだ途端に急に元気がなくなった」というような話を時々耳にしますね。確かに、健康で長生きするためには、丈夫な足腰を維持することが必要不可欠です。無理せず楽しく、筋力アップに取り組…
この写真は1944年の10月10日、10・10空襲に襲われる那覇市の様子。いまの那覇軍港のあたりが爆撃を受け、黒煙が上がっています。この大空襲、そして地上戦の中を生き延びた看護学生の少女は、65年前の…
戦後2番目の高校、コザ高校が開校。授業の再開、同級生との再会。そこにはふたつの喜びがありました。 花城さん「だいたいあの一帯あたりでした。今はその跡形もない」 65年前の10月7日、沖縄市・室川小学校…
沖縄戦に参加したアメリカ兵士の日記を紹介します。 1945年10月7日(日)きょうもまた待機だけだった。こんな無意味な仕事から抜けられるのはいつの日になるのやら、とふと考えた。 この本は「アメリカ一水…
八重山でも着々と武装解除は進み、物々しい兵器が処分されましたが、島は戦火とは別の恐怖に苦しめられていました。 8月29日、石垣島では日本とアメリカの会議が開かれ八重山の武装解除が始まりました。八重山の…
65年前のこのころ、収容所の住民はアメリカ軍からの配給で命をつないでいました。 配給所で列を作る住民たち。65年前のこのころ、各地に設置された収容所の住民には、アメリカ軍から必要最小限の食糧が与えられ…