稲嶺市長「おはようございます。」小学校の生徒「おはようございます。」 午前7時過ぎ、子どもたちの通学路に立つのは名護市の稲嶺市長。市長は毎日、こうして交通安全指導をした後、自転車で役所に向かいます。…
アナログ放送終了まであと半年となりましたが、沖縄県の地デジ世帯普及率は全国最下位を記録。なぜ早めの地デジの準備が必要なのでしょうか?河合キャスターのリポートです。 デジサポ沖縄・高良勲センター長「この…
那覇市久茂地にある、日本銀行那覇支店の旧店舗が、先頃、民間に売却されました。本土復帰の一つの象徴でもあったこの建物が姿を消そうとしています。 日本銀行那覇支店が開店したのは、沖縄が本土復帰した1972…
那覇空港を拠点に全日空の国際貨物路線を使い羽田や関西など国内3空港と韓国や中国各地、東南アジアなど5ヵ所を結ぶ国際物流ハブ事業が始まって1年が経ちました。 一つの航空会社にとどまらない県を挙げた大プロ…
【最大170%!】(高速無料化) 高速道路の無料化社会実験で、沖縄自動車道は全区間が無料に。結果、これまでにない渋滞が、日常的なものになりました。 草柳記者「無料化社会実験開始から半年。交通量の多い状…
きょうは1年間お送りしてきた「オキナワ1945 島は戦場だった」の最終回拡大版でお伝えします。QABでは戦後65年目を迎えた今年、戦争を体験した方々の高齢化が進む中、戦争を知らない私達の世代があの沖縄…
戦争で行政機能が停止していた八重山に、65年前のきょう、アメリカ軍が軍政布告の文章を貼り出しました。 「八重山郡民に告ぐ」と書かれたこの貼紙。アメリカ軍が八重山に軍政府を樹立すると宣言したものです。日…
きょうは今年の基地問題を振り返ります。 菅総理「色々な見方の違いはありますが、丁寧にしっかりと議論を積み重ね、詰めていける」 今月18日、沖縄訪問の後の会見で、普天間基地の辺野古移設に理解を求めた菅総…
65年前のこの頃、ハワイに移住した県出身者たちが、沖縄に救援物資を送り始めます。1945年12月、救援物資の荷造りを終え、記念写真を撮る人々。 故郷の窮状を案じたハワイ在住の県出身者たちを中心に、衣服…
2010年を振り返るシリーズ、きょうのテーマは経済です。ホテル「一般のお客様がちょっとご予約出来ない状況ではありますが」美ら島総体の効果で、8月には、1カ月当たり史上最多の観光客数を記録した沖縄観光。…
65年前のこの頃、満州にいた少女はマイナス30度の厳しい寒さの中、収容所にいました。 南風原町の石川キヨさんは1943年、15歳のときに満州に渡りました。当時、満州では日本からの満蒙開拓団が地元住民や…
65年前の12月、石垣島で小さなかまぼこ店が開業しました。 石垣島のかまぼこ店、多くのお客さんが訪れます。創業者の金城ヨシさん。戦争中は台湾に疎開していました。戦争が終わり石垣に戻ったヨシさんは65年…
「最後もストレート、半世紀前甲子園の黒土さえ持ち帰れなかった琉球の島へ、深紅の大優勝旗が初めてわたります」沸き上がる興南高校体育館,おばあちゃん「もう感激です!」2010年沖縄スポーツ界最大のニュース…
65年前の年末、まだ食べるのにも困るような物不足の中、貴重な漆を探し出し、仕事を始めた職人がいました。 収容所の中で作られた嫁入り道具の衣裳櫃。本来ならば漆器になるはずでしたが、漆が手に入らず、表面に…
沖縄の初期占領政策に携わったアメリカ海軍将校について、先日お伝えしました。沖縄での経験から、人生半ばで神父となった彼の生涯は、その後も日本と深く関わりを持つことになります。 1945年、沖縄。運動会、…