こんばんは、スポーツです。先週金曜日に亡くなったボクシングの指導者、金城眞吉さん。きょう、告別式が行われました。ボクシング王国・沖縄を築いた名将のこれまでを振り返ります。
きょう午後3時から、那覇市で執り行われた告別式。ボクシング王国・沖縄を築いた金城眞吉さんとの最後のお別れに多くの人が訪れました。
平仲信明さん「ショックというよりも、茫然としていますね…」
ボクシングの指導に情熱を注ぎ続けた金城眞吉さん。自身も高校からボクシングを始めチャンピオンを目指し日本大学に進学。しかし、そこには大きな力の差があったといいます。
その後、本土にも負けない沖縄の選手を育てようと消防士の仕事をしながら興南高校・沖縄尚学ボクシング部の監督を歴任。
「練習に泣いて、試合で笑え」「人に勝つ前に自分に勝て」と、練習では生徒たちを厳しく指導した一方で、自宅を改造し、ジム兼寮として選手を住ませ本当の家族のように接していました。
高校での指導は45年。その間、40人もの全国王者を育て上げました。
そして、高校の監督を離れた後も教え子の試合を観に会場に足しげく通い厳しくも温かい言葉をかけ続けていました。
小谷将寿選手と金城眞吉さん「頼むぞお前もう、石投げるぞ、もたもたすると頼むぞ!」
翁長吾央選手と金城眞吉さん「勝ったからって調子に乗っているんじゃない上には上がいる、わかるよな?頂点に行った時は、お前の好きなワインでも飲ますから乾杯するから」
そんな数多くの教え子たちの中で金城さんが「一番の優等生」と口にするのが元WBA世界ライトフライ級王者で13連続防衛を果たした具志堅用高さん。ボクシング経験のなかった16歳の少年は金城監督の指導の下、力をつけ沖縄が世界に誇るボクサーにまでなりました。
具志堅さんは金城さんの危篤の知らせを受け病室にかけつけ、最期を看取っていました。
具志堅用高さん「こんなに早く監督と別れるなんて、本当に寂しいです」
具志堅用高さん「ボクシングの神様ですね。教えていただいたものを若い今の子たちに伝えていきたいと思います」
そして、多くの教え子たちが、金城さんの教えを胸に、これからもリングに立ち続けます。
小谷将寿選手「チャンピオンベルトを監督の家に持っていこうと思います」
翁長吾央選手「金城監督と…出会えて最高でした」
ボクシング王国・沖縄を築いた金城眞吉さん。その情熱は、これからもずっと受け継がれていきます。
金城眞吉さん「頑張れ頑張れと言われて頑張るのは当たり前なんだよ。しかし試合で絶対勝つ、死に物狂いで勝つくらいの気持ちでリングに上がってもらいたい期待しています、応援しています」