10月、惜しまれながら65年の歴史に幕を閉じた那覇市の旧農連市場。「県民の台所」として11月にはリニューアルしたのうれんプラザがオープンしていますが、長く商いをしてきた人たちには様々な思いがありました。
1953年に誕生した、那覇市の農連市場。一帯の再開発で、今月、新たな建物に移転、再スタートを切りました。移転が間近に迫った先月末、旧市場にはいつもと変わらず働く人たちの姿がありました。
金城初子さん「(Q:ここでのお仕事は何年くらい?)もう65年になります。昭和28年から。ハハッ」
金城初子さん「(Q:市場の歴史もそれぐらいですよね)そうです、フフ」
金城初子さん「もう場所取るのにも、ケンカしよったよ。買い手はいっぱいいるし、今と逆ですよ。今は品物は豊富、買い手がいない、少ない。みんなスーパーいっている」
島袋弘子さん。本部町から、週に3日、農連市場へ通う生活を続けてきました。
島袋弘子さん「(Q:やんばるから来た人は、最初は大変だったと聞いたんですけど)そうよ、たくさんいたもん。最初は場所そのくらい」
島袋弘子さん「(Q:市場にどんな思い出がありますか?)思い出…なんとも言えない。ウフフ 本当大変だったなということしか。よくも今までこれたねと思う」
市場がにぎわうのは、明け方ごろですが、店子さんに野菜をおさめる弘子さん夫婦は、前日の午後には野菜を仕分け、夜に配達を始めます。
貞昭さん「仕事はいつもケンカするよ、ねえ弘子さん」
弘子さん「意見が合わない(笑)」
貞昭さん:「でもさ…やっぱりヒロが大好き」
弘子さん「(苦笑い)」
貞昭さん:「あい、本当の話よ」
貞昭さん:「よぉし、曲がるよ~」
―ゴトゴトと音を立てて進む台車-
夜10時。向かった先は、グランドオープンを控えた新しい農連市場。数時間後に開く店に野菜を納めます。翌朝の集金まで丸1日がかりの重労働ですが、まだまだ続けるつもりです。
移転をきっかけに、市場を去った人もいます。
「芋持って行っていい?芋とナスと。さよなら、本当にさよなら。」
大城悦子さん「電話来たりメール来たり本当に忙しい」
付き合いのあった人「今日が最後というのを記事見たものですから。だからどうしても会いたいと思って」
大城悦子さん。体力も気力も十分ですが、元気なうちに引退することを決めました。市場と自宅を往復する生活は、48年で幕を閉じます。
大城悦子さん「農連来た当時はまだ上の子が4歳、5歳ですから、2人連れて、リンゴ箱に、寝かせて仕事していました。連れてきて(Q:農連市場とは悦子さんにとって)農連があったから子育てもできたし家も建てられたし。農連で始まって農連で終わろうかね」
留守電のメッセージ「悦ちゃん、ありがとうね、いつもお世話になりました」
翌週、新しい農連市場には、以前と変わらない風景がありました。
お客さん「前より買いやすくなりました。みんな近場で。明るくてね」
最年長・新垣キクさん(92)「杖ついて歩くまでは頑張ろうと思います(お客さん:はい、お母さん)はいよ、おはようございます」
明るくきれいな建物で再出発した農連市場。65年続いた市場が持つ人の絆、温かさは今も変わらずそこにあります。