続いては、ウチナームークの中村守アナウンサーが、街を歩いて沖縄を再発見する「まも散歩」です。きょうは、壺川駅周辺散歩の後編。ある歴史上の人物の名前がついたお店をあちらこちらに見つけます。さてその理由とは。
私、中村守が沖縄の不思議や、様々な出会いを求めて歩く「まも散歩」。今回はどんな発見が待っているのでしょうか?前回、那覇市奥武山はその昔、小さな島だったことや、沖縄ミミズ発祥の地とされる古い伝説に触れ、びっくり。
再び歩いていると、何か聞こえてきましたよ!
古塚さん「ちょっと音が聞こえませんか?」
守「水が…水が流れていますね」
古塚さん「これは水道水ではないです天然の水ですね」
古塚さん「ここが落平(ウティンダ)という場所ですね。昔は旧那覇地域は井戸を掘っても水は出るが塩交じりだったんですね。しょっぱい訳です。飲むのには適さなかったんです。飲むための真水はどうしたかというと那覇の対岸にあったこの落平(ウティンダ)の水を汲んで運んでいたんです」
1879年以降、人口が増え始めたかつての那覇市では、水不足が深刻に。岩の間から湧き出る落平(ウティンダ)の水は、桶で那覇市に運ばれ、それをてんびん棒にかついで売り歩く〝水商売〟が繁盛したんだとか!
古塚さん「ここの水が那覇の人たちの生命線だった訳です」
守「人の命がここで守られていた訳ですね」
当時の暮らしに思いを馳せ、住宅地の坂を上ると、そこには小さな公園が。ここでは〝あるもの〟が見つかっていました!
古塚さん「洞穴はこれです」
守「本当だ」
古塚さん「この中を下に掘っていくと、6つの層があってその層の中から人骨が見つかった」
守「人骨!?」
今から50年前、この小さな洞穴から見つかったのは、およそ3万2千年前のものとされる女の子の骨。
化石人骨としては日本最古のものだそうです。
古塚さん「(日本の)地面の性質からするとこういう化石人骨は非常に残りにくい。ところが沖縄の場合は琉球石灰岩が発達しています。その石灰岩がこういった骨も大事に守っていてくれたそういうことで沖縄は化石人骨の宝庫でもあります」
守「琉球石灰岩が人の骨を守ってくれてそれが見つかっていると」
沖縄で最も古いとされる小さな遺跡は、きょうもひっそりと佇んでいます。
公園を後にすると、町の至るところに〝ペリー〟の文字!
実は、那覇市山下町は戦後、ペリーと呼ばれていた地域で、その名は、町の歴史を今に伝えています。
古塚さん「第二次世界大戦後アメリカの統治下になったときに(町が)山下という名前は悪いとマレーの虎と言われた山下大将の名前と一緒だからとそれで琉米(りゅうべい)の親善という意味でペリーの名前を使ったと言われているんですけどね」
こちらは創業60年あまり、地元で愛される「ペリーもち屋」さん。
守「こんにちはお邪魔します。お餅がいっぱい並んでますよ」
「(Q.ずっと始めたときからペリーもち屋さん?)地名がペリーだったから」
「(Q.この辺の景色はどうですか?変わったんじゃないですか随分?)変わりましたよ(Q.どんな風に変わりました?)うちが向こうで営業しているときは野球場がなかった」
守「ありがとうございました。ご馳走様でした」
最後は優しい笑顔に心がほっこりしたところで、今回はここまで!次回は、あなたの街にまも散歩!?ペリーもち屋の照屋トシ子さんは92歳。今は息子さんと2人でもち作りに励んでいるということです。まも散歩、次回もお楽しみに!