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27年かかった返還の式典です。

普天間基地全体の0.8パーセントにあたるおよそ4ヘクタールの返還を、国は基地負担軽減の実績として強調しました。

宜野湾市で開かれた式典には日米両政府をはじめ、地元宜野湾市の佐喜眞市長など関係者およそ180人が出席しました。式典で、宮澤博行防衛政務官は「沖縄の基地の負担を軽くする。しかも目に見える形で減らす。それは政府の大きな責任であります。そしてこれからも地元の皆さまの理解を得る努力を続けながら確実に結果を出していかなければなりません」と述べました。

また翁長知事は「市道宜野湾11号として整備され、渋滞の緩和および地域住民の生活環境の改善に寄与するものと期待を寄せております。全面返還については宜野湾市民だけでなく、県民全体にとっての長年の悲願であります。県外移設に積極的に取り組んでいただきますようお願い申し上げます」と述べました。

返還された土地は27年前に返還が合意されていたもので、普天間基地全体の0.8パーセントにあたり、基地の東側にあるおよそ4ヘクタールです。返還跡地は今後、宜野湾市の市道として整備されます。

普天間基地の一部返還で式典

ここからは取材にあたりました久田記者に聞きます。基地負担軽減策の一環、ということで政権の努力の成果を強調する式典でしたね。

久田記者「確かに今回、跡地に新たな市道が整備されることもあり、多くの宜野湾市民は、一部返還とはいえ、この返還を歓迎しています。ただ、そもそも全面返還が決まっている基地の0.8%の返還に過ぎない、ということを冷静に見る方もいました」

宜野湾市民「広くなるからいいかなと思います。近くに住んでいるので、あっち(返還された土地)の。あっちに道が出来たらうれしいな」「あんまり返還にあたらないんじゃないかな、少しだし。ただの名目のような感じがします。でも返らないよりはいいかもしれない。その件(一部返還)は歓迎ですけど、もっとやるべきことがあるような気がします」

集落全体が普天間基地内に接収されている中原区自治会は…。

普天間基地の一部返還で式典

中原区自治会・森田進会長「中原というのは全部基地の中にある。だからいずれは帰りたい。抜本的には普天間飛行場の返還というのが大きな目標であって、一部返還というのは嬉しいんだけど、やっぱり将来的には全面返還を1日も早くやってほしい」

中原区市民「便利にはなりますよ、こっちに道ができるのは。地域にとってはいいことではあるけれど、また困る。というのは、全体的に見て、全部返還して、どっかに行ってもらいたいんですよ、同じ沖縄に移るということはあまり好きではないですね」

久田記者「返還されることで、市民生活が全体として向上することは確かだと思います。しかし、中原区自治会での取材では、フェンスのすぐ目の前のふるさとに帰りたくても帰れない方が、全面返還を待っている現実を目の当たりにしました。また、別の区では、基地とすぐ隣り合わせの家で暮らす方にお話を伺いました。こちらのお宅では、新たな市道が目の前にできることで、戦前の実家だった基地内の土地と自宅が断絶されてしまうと嘆いていました。普天間基地を一体的に全面返還していれば、一体的な土地利用も可能だったかもしれません」

引き続き犠牲を強いられる人たちも残されているんですね。

久田記者「およそ2キロの区間、基地のフェンスを若干後ろに下げただけの返還では、根本的な解決にはならないということを痛感しました」

長年の課題だった返還が実現して、地元は喜ぶのは当然ですが、全体の0.8%の土地の返還に27年もかかったというのは政府の実績と呼べるのでしょうか。むしろ政府は27年もかかったことを反省すべきではないでしょうか。