さて、これまで2回リポートをお伝えしてきた、首里教会の十字架にまつわる物語です。先月ついに、戦争で傷ついた当時の十字架が復元され、首里の空に掲げられました。およそ70年ぶりに見た十字架に、人々は何を思ったのでしょうか。
1945年、沖縄戦の戦線が首里に迫る頃、日本軍に接収された首里教会も激しい攻防戦の渦中にありました。砲弾は、信仰の対象である十字架にさえ、容赦なく向けられました。戦後残ったのは、廃墟となった教会堂と、傷ついた十字架です。
比嘉文子さん「(疎開から首里に)入ってきて、父が『あっちが首里城だ』というけど真っ白で首里城じゃないんです。え??と思ったら『文子、左側を見てごらん、教会があるよ』と。それで、首里だと初めてわかったんです。(十字架を見た時は)良かったというのと、まぁ…という悲しみと、二つ一緒でした」
首里教会では、今では少なくなった戦争体験者の証言と写真から、戦後の首里で唯一残った教会堂と十字架を復元させようとおよそ30年に渡り、検討を重ねてきました。
宮里さん「愚かしい人間のやった戦争を反省する意味で、戦禍にあった十字架を復元するという話になりましたね」
そして先月21日、ついにその日が来ました。
皆が待ちわびた十字架は、人々の中心にありました。モルタルは剥がれ落ち、鉄筋までもがむき出しの当時のまま復元されました。
『沖縄戦の悲しみと悼みを忘れないために、平和の大切さと命の尊さを憶える為にも恵みの印となりますように祈ります』
復元された十字架は、現在、教会堂とともに工事が進められている塔屋に設置されます。その足元には、平和への想いを託す人たちの名前が記されています。
戦後まもなく、塔屋から降ろされた傷ついた十字架。復元され、およそ70年ぶりに首里の空に上がりました。
竹花牧師「祈りと願いが形になったうれしさと責任も感じます。首里の歴史と教会の歴史を知って身近に感じていただけたらありがたい」
文子さん「私たちがいなくなっても、あと何十年先の子孫がこれを見て戦争はもうだめだ、平和を守らなきゃいけないという、ひとつの道しるべにしてくださると大変うれしい」
戦後、復興を目指す人々の心の支えとなった十字架は、平和を誓うシンボルとして、再び首里の街を見守ります。