65年前の4月28日、基地問題の原点とも言えるできごとがありました。サンフランシスコ講和条約と日米安保条約、そして、安保条約に基づいて作られた行政協定、今の日米地位協定が発効したのです。
きょうは、不条理とも言われる日米地位協定について、皆さんと一緒に考えたいと思います。地位協定に詳しい、元外交官で、外務省国際情報局長、イラン大使などを歴任した孫崎享さんに話を聞きました。
第2次世界大戦末期の1945年7月、連合国が日本に降伏を勧告したポツダム宣言に、このような一文があります。
「連合国占領軍は、その目的達成後、日本の人々の自由な意思により、平和的で責任ある政府が設立された場合、ただちに日本から撤退する。」
元外交官・孫崎享さん「そのポツダム宣言に何が書かれているかということは、ほとんどの日本人が知らないんですけれども、日本がちゃんとした政府ができれば、外国軍は撤退する、とまず決めてるんですね。だから、サンフランシスコ講和条約で、日本が独立すれば、本来的には米軍はいなくていい、という前提があるわけです。ところがそれと同時に安保条約を結んで、この安保条約で米軍の駐留がOKになるわけですね。」
この安保条約を結ぶにあたって、1951年1月、後に日米安保条約の生みの親とも言われるアメリカのダレス国務長官顧問が来日し、こう発言します。
孫崎さん「『我々は、日本に、望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間置く。これを確保することが今度の交渉で一番重要なことだ』と」
そして9月、日米安保条約に吉田首相が調印。翌52年4月28日、行政協定、いまの日米地位協定が発効します。在日アメリカ軍の在り方について記す日米地位協定。読んでいくと、アメリカ軍の特権があらためてわかります。
第3条1項、合衆国は施設及び区域内において、それらの設定、運営、警護及び管理のため必要なすべての措置を執ることができる。第4条1項、合衆国は、施設及び区域を返還するに当たって、それらが合衆国軍隊に提供された時の状態に回復する義務を負わない。
何をしてもいい。そして、元に戻さなくてもいい。これだけでも理不尽な、日米地位協定。
孫崎さん「(Qなぜ協定なのか。なぜ条約にしなかったのか)安保条約は国会の承認が要るわけですね。(条約は)国会で批准する必要があるわけですね。ところが行政協定にしておくと、これは双方の政府間同士の約束事であるから、という形で、批准はしなくてもいい。議論されると紛糾するかもしれない、っていうものを行政協定の中に書き込んで、国会の審議を経ないで、効力を持たせようと。(Q国民に問う必要がないところに置こうと)そうですね」
そして、そもそも講和条約や安保条約よりも重要。だからこそ、国会での批准を必要としない協定に、すべて盛り込んだのだと言います。
孫崎さん「外務省で、日米開戦のときに、アメリカ局長をしていた寺崎太郎という人が、戦後(外務)次官になるんですけど、彼が言ったセリフに『一番重要なのは地位協定、行政協定なんだと。その次に安保条約、その次にサンフランシスコ講和条約だ』と。」
日米地位協定、県は抜本的な改定を求めていますが、政府は、その必要はない。運用改善でと拒み続けています。それは、安倍政権も同じです。
孫崎さん「残念ながら、安倍首相の一番大きな目標は長期政権。で、安倍首相の判断の中に、長期政権に行く前提は、米国から嫌われない。」
伊波キャスター「ダレス国務長官顧問の『我々が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間置く』という言葉は衝撃ですね」
謝花キャスター「その考え方がアメリカ政府あるいは軍の根底にあって、日本政府にも奥底に根づいてしまっているかのよう。そして日米地位協定にはさらに『合意議事録』というものが付いていて、例えばVTRでも紹介した第3条には、その6、『施設又は区域において、形態を問わず、必要な地上、地下、空中、そして水上、水中の設備、兵器などを作って、使用する。』ということが書いてあって、地位協定上の『何でもできる』ということをさらにダメ押しのように書いているんです。こういうことができる場所をまた一つ、戦後70年以上経ついま、日米両政府は沖縄に造ろうとしています。」