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こちら、ご覧下さい。暗い壕、ガマから外の明かりが漏れています。ガマは、沖縄戦のとき、旧日本軍や、住民らが使い、多くの命が救われ、そして亡くなった場所でもあります。

この壕が今、ある問題を抱えています。中村守アナウンサーのリポートです。

参加した男性「見ていないので分からないが多くのごみがあるなら(ガマのことが)伝わっていない世代が捨てているのかなと思う」

Q+リポート 八重瀬町のガマで清掃活動

先週土曜日、20人あまりが向かったのは民家の道をはさんで向かい側にあった壕。沖縄戦の時、旧日本軍が使っていたというイリュージガマです。

始めたのはゴミ拾い。八重瀬町のNPO法人の呼びかけで県内各地から参加者が集まりました。そこには、不法投棄された空き缶やペットボトルなど長い間放置された生活ゴミが捨てられていました。

参加した男性「(ガマの存在は)戦後の復興の中での心のひとつの傷じゃないかと思う」

参加した女性「戦争があったことを残しているものなのにこんなにたくさんのごみで埋もれているのは悲しい」

Q+リポート 八重瀬町のガマで清掃活動

中村守アナウンサー「参加者はごみをひとつずつ拾い集めています古いごみに紛れてこういった新しいごみもあります」

今回で5回目となるイリュージガマの清掃活動。2時間かけて回収したごみは128袋。清掃のあと、壕の目の前に住む徳浜光助さんが当時の体験を語りました。

徳浜光助さん「ガマがあったからよかったと思いますよ。ガマがないところひめゆりの(辺りの人は)崖から落ちたりした」

5歳だった徳浜さんは、家族とともにイリュージガマに逃げ込み命を救われました。

最後は、ガマに入った参加者たち。冷たく暗いガマの中で、沖縄戦の痛みに思いを馳せ戦没者に黙とうを捧げました。

Q+リポート 八重瀬町のガマで清掃活動

NPO法人自然体験学校沖縄校重廣匡邦さん「戦跡を保全していかなければいけない平和を次世代につないでいかなければいけないという思いがとても強く感じられたので有意義な活動ができたと思う」