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71年前の沖縄戦では10代の少年たちが鉄血勤皇隊として戦場の最前線に送られ亡くなりました。その一人で、西原町出身の男性の遺影が今回、世界のウチナーンチュ大会をきっかけに遠くブラジルから沖縄に里帰りしました。
遺影の男性は西原町出身の新川浩造さんです。新川さんは首里高校の前身県立第一中学校の5年生のとき、鉄血勤皇隊として戦場の最前線に送られました。負傷して目が見えなくなり、壕の中で最期を遂げたという新川さん。
遺影は、新川さんの親友で最後まで行動を共にしていた山田義邦さんが戦後、ブラジルに移民していた家族を探し出し、世界のうちなーんちゅ大会で再会したのを機に里帰りすることになりました。
同級生の山田義邦さんは「私は浩造と別れた所を身内の方にやっと案内したことが嬉しいんですよ。あれが一番嬉しい。ほっとしていますよ、本当に」と話しました。
一中学徒隊展示資料室解説員の大田光さんは「こうやって写真があって、証言があって、どんな人だったかがわかっていけば、凄い立体的に見えるというか、生きていた一人の人間だ。私たちと何も変わらない生きていた一人の人間だと言うのは調べれば調べるほど。」と話していました。
戦後71年経って遠くブラジルから届いた遺影。資料館では平和教育に役立てたいと話しています。