こんばんは、スポーツです。今週木曜日に行われるプロ野球ドラフト会議。ことし、県出身でプロ志望届を出しているのが興南高校出身の高良一輝投手です。運命の日直前、その思いを聞いてきました。
プロ野球ドラフト会議まで1週間を切った先週金曜、興南高校出身で、福岡の強豪・九州産業大学でプレーする高良一輝投手は、練習に汗を流しながら運命の日を待っていました。
高良一輝投手「(Q.いよいよ、プロ野球ドラフト会議が近づいてきましたけれども心境はいかがですか?)目標としていたプロの世界がもう少しで手に届きそうなところまで来ていると思うので、ワクワクした気持ちで待っています。」
小学校2年生から野球を始めた高良。6年生の時には既にエースピッチャーとしてチームを牽引し地区大会優勝や、九州大会出場に貢献。
興南高校時代は、1年の時からベンチ入りし2010年の夏の甲子園優勝を経験。3年の夏こそ県大会2回戦で敗退でしたが、興南の伝統あるエースナンバーを背負いました。
その潜在能力の高さを、高校時代に高良を見てきた我喜屋優監督はこう話します。
我喜屋優監督「(高校)1年生2年生の頃から非常にピッチャーとしての一番大事なコントロール、インコースで勝負できる。上で通用するような威力のあるボール、変化球を備えたピッチャーに成長して、成長し続けていると。」
高良一輝投手「(Q.高校は、興南高校で3年間やりましたけども、あの3年間というのは、今振りかえってどう思いますか?)1年生の時に甲子園で優勝を経験させてもらって。高校野球は最高の形でスタートしたんですけど、実際終わってみるとなかなか自分の結果は出せなくて。あたり高校で結果を残せなかった分、大学でやってやるぞという気持ちは強かったです。」
高校3年の夏に甲子園に行けなかった悔しさを胸に大学でさらに力をつけた高良。自信があるというストレートはMAX148キロ。三振の山を築く本格派右腕へと成長。数々のタイトルを獲得したのを始め全国選手権でも完封勝利を挙げるなど、プロのスカウトから注目されるようになりました。
プロへの階段を着実に上がっているように見える高良。しかし、ことしの春、アクシデントが襲いました。右足内転筋をケガに加え、肩の張りも出始め思うような投球ができない日々が続いたのです。
高良一輝投手「一番きつかったですね。初めての大きなケガだったので、自分も戸惑いがあったんですけど(両親から)ゆっくり完治することを優先しろとそういった、普段はこない連絡が来たりして自分でも支えになったと感じています。」
高良が苦しい時期も頑張れた陰には豊見城の実家から見守る両親、均さん、多恵子さんの存在がありました。
母・多恵子さん「(県外に進学し)とても寂しかったし、心配でしたね。大丈夫かなと思いながら。」
父・均さん「やるなら真剣にやれよと、プロ目指せよと小さい時から言ってはいましたね。本人も甲子園行きたいとか、プロ野球は憧れでいつもテレビ観ているので。」
このインタビューで、両親が、少年野球時代のある思い出話をしてくれたのでこの映像を本人にも見てもらうことにしました。
父・均さん「少年野球の九州大会の準決勝の時に、相手のエラーで逆転のホームを踏んだんですけどね一生懸命走りながら顔は泣きながら。その時にちょっと写真が残っているんですけど、ユニホームのチャックが開いていて。」
高良一輝投手「写真見た時は衝撃的でしたね(笑)」
少し恥ずかしい思い出も、野球に夢中で取り組んできた証。最後に、恩師、そして両親からのメッセージも見てもらいました。
我喜屋優監督「入ってから頑張れるピッチャーになってもらいたいということです。ドラフトされてからの話ですけど、もう淡々としていますよ頑張れや!それぐらい。むこう(高良)はわかっているから。」
母・多恵子さん「あとは何も心配しないで、こちらもみんなで一生懸命応援するのであとは夢に向かって一生懸命頑張ってほしいと思います。」
父・均さん「本当にここまで来て、逆にこっちが感謝本当に楽しみにしています。苦しいこともたくさんあったと思うんですけど、諦めないでここまでやってきてやがて、目標にしていたプロ野球選手になれそうというところまで来ているのであとひと踏ん張りですね。頑張ってもらいたいと思います。」
高良一輝投手「入ってからが勝負だと自分も思っているので。家族の夢でもあると思うのでしっかりここで結果残して、恩返ししたいと思います。」
恩師や家族の思いも胸に、迎える運命のドラフト会議「高良」の名が呼ばれるのを信じて、その日を待ちます。
高良一輝投手「今までできることはすべてやったつもりなので、今までやってきたことに自信を持ってしっかりした気持ちで待ちたいと思います。」
プロ野球ドラフト会議は今週木曜日、吉報が届くことを期待していますニュースQ+内でも、速報でお伝えしていきますのでお楽しみに。
以上スポーツ部でした